そういう部分に関しては、近年上原正三氏が執筆した、初期ウルトラ時代の金城氏を描いた小説『金城哲夫 ウルトラマン島唄』において、ソフィストケイテッドされた形ではあったが、金城氏がこの世界の大先輩格である、格上の作家陣に対して様々な形で絡み合う場面などで、窺い知ることができる。

そこで金城氏が「映画界の至宝・円谷英二監督のプロダクション」である円谷プロで「プロの社運を賭けた」「元請会社・TBSが莫大な資金を投入した」番組制作において、自らが指揮を執るという局面に立った時に、まず自らに課したテーマこそが「自分の私を捨て、公に徹しよう」であったのではないだろうか。

そしてそれはそのまま(筆者が『ウルトラ作戦第一号』評論で語ったような)、金城氏がウルトラマンという存在に、託したテーマそのものだったのではないだろうか。

「琉球という国から異人の国に単身やってきた自身が、異国の文化中枢で、偉大な映画監督のプロダクションの命運を背負った役割を担う」が、そのまま金城氏の中で「光の国から異星人の星に、単身やってきたウルトラマンが、異星の中枢で、その世界の平和を背負う役割を担う」に落とし込まれたとしても、なんら不思議はないのである。

日本テレビ文化の黎明期を飾った、国民的ヒーローのメインモチベーションは、実は金城氏をそのとき取り巻いていた「環境」が、反映され作られたものであるのかもしれない。

実際、初期の金城氏の役割は、自身の師匠でもあり大作家だった関沢新一氏や、野長瀬三摩地氏や山田正弘という先輩作家への助言・進言役や、新人作家・上原正三氏と共筆する時のサポート役に徹することが多く、そういった作品の中では、ことさら「金城色」が出るようなでしゃばった様子はないまま「身長40mの巨大宇宙人が、怪獣を倒す」というフォーマットの、未知のドラマ作りの中で、どれだけ初参加の作家や監督達が、のびのびと作劇・演出できるかに、まるでコーディネーターかコンダクターのように、腐心しているふりが伺われるのだが、そんな金城氏の努力が実を結び、シリーズも上手く回転しだしてきて、他作家陣もウルトラマンならではのノウハウを、それぞれに確立した時期に差し掛かると、金城氏が単身で作劇を展開しても良い状況になり、また金城氏自身も、気心の知れた円谷一監督とのコンビ作品などになると、『オイルSOS』といった作品などで「私と公」「怪獣と個人の閉じた関係」などといった、金城氏ならではのテーマ性が、顔を覗き始めるのである。

それらのエピソードではまだ、実験的だったのかもしれない。

むしろ、おそるおそる娯楽の影に隠すようにして、ひっそりと盛り込んだのかもしれない。

しかし、そのタイミングで『ウルトラマン』に初参加した佐々木守氏が、いきなり送り込んできた『恐怖の宇宙線』という脚本は、怪獣と子ども達の「閉じておかねばならない関係性」が、おおっぴろげに暴かれて、ことさら滑稽に描かれているドラマであり、そしてまた、その「怪獣と子ども達の閉じた構図」から、大人達と共に、ウルトラマンまでもが弾き出されているという構造のドラマだった。

このタイミングでの、この佐々木作品が、金城氏をして突き動かし、本話を構築させたのではないかと、筆者は思っているのである。

本話では、やはり『恐怖の宇宙線』同様に、子どもと怪獣が閉じた関係性を築くが、それは『恐怖の宇宙線』と明確に違う部分を多く持っている。

例えば、本話のヒドラとアキラ少年の関係性は、一見解りやすい構造を持っているが(不遇の交通事故で死んだ少年と、その怨念を晴らすヒドラ)、しかしそのドラマの中で、なぜアキラ少年が科特隊本部に現れて警告するのかが、実はまったく描かれてはいないのだ。

自分がヒドラに復讐を託したのであれば、むしろそれを阻止しようとするかのように、科特隊にヒドラの危険を告げに現れるのはおかしいと思える。

そしてまた、クライマックスからラストへかけて。

ヒドラは決して、アキラ少年の復讐を果たしきっていないのに、アキラ少年は、戦い続けるヒドラを急に撤収するように呼び寄せて、共に空へ飛び去ってしまうのである。

おそらく、そこにあった関係性を読み取るときに、最大のテキストとなるのは『ウルトラセブン』『ノンマルトの使者』における、少年とノンマルトの関係だろう。

ウルトラでは、宇宙人や怪獣は人間社会を襲うが、しかしそこにはなにかしらの理由があるという構図が多い。

ならば、その原因をあらかじめ取り除けば、そこに諍いはなくなるはず。

金城氏のウルトラシリーズで「閉じた関係性」の一端を担う立場が子どもの場合、いつでもそこで登場する子どもは、人類と怪獣が争う原因を、せめて事前に取り払えないかという、切なる願いのモチベーションで動いている場合が多い。

本話や『ノンマルトの使者』『まぼろしの雪山』などがその代表であり、それを裏付けるかのように、本話では「アキラ少年を殺した自動車に対する復讐心」は、ヒドラがその行動で見せるだけで、本話で科特隊本部に現れたアキラ少年は、決して自分を殺した自動車に対する恨み言を言うわけでもないまま、ただただ、ヒドラが暴れることへの警告に徹して去っていくのである。

この、アキラ少年の言動に「私を捨てて公のために尽くす」という、金城氏のテーマを垣間見ることもできる。

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