『機動戦士ガンダムZZ』から『ガンダム・センチネル』へ
『Zガンダム』売り上げ好調のバンダイは、続いて翌年にも『Zガンダム』の新作をとサンライズと富野監督に打診。
ビジネス的に異論が出なかった時点で、バンダイも日本サンライズも富野監督も、初の2年連続ガンダムとなったが、そうして始まった『機動戦士ガンダムZZ(以下『ガンダムZZ』)』(1986年)プラモデルの方は、出だしこそ好調だったものの、初動でのメカデザイナーの人事トラブルが相次ぎ、永野護氏から小林誠氏への、ZZガンダムデザイン急遽引き継ぎや、出渕裕氏の電撃起用とタイトなスケジュール発注など、内部が紛糾した影響もあってか、ガンプラビジネスの方もシリーズ序盤こそ、コメディ要素を取り入れた作風に併せたユニークなメカが商品化されるが、途中からはMSVシリーズやZガンダム登場モビルスーツの金型流用商品が続き、さすがのガンプラも息切れかと思われた。
『ガンダムZZ』ガンプラは、なんとか後半、1/144 ドライセンやドーベンウルフ等の佳作キットを生み出すに至るが、そろそろさすがにガンプラブームも下火になってきており、『ガンダムZZ』放映中に、アムロとシャアの決着を、二年後に新作で映画化するという企画が決定し、テレビの『ガンダム』シリーズは、一度幕を下ろすことになった。
『ガンダムZZ』終了後は、ガンプラブームピーク時からMSVへの移行期がそうであったように、模型雑誌『月刊モデルグラフィックス』で、既存のガンダムシリーズの歴史の裏での、戦いとオリジナルガンダムやモビルスーツの活躍を描いた『ガンダム・センチネル』が、一部ガンダムモデラーによって盛り上がった。
このムーブメントは、ビジネス規模こそ小さかったものの、メカデザイナー・カトキハジメ氏の名を知らしめたことや、モビルスーツの立体表現の概念的革新などで、現代に至るガンプラビジネスに影響を与え続けることになった。
ガンプラ発の模型ムックが、ガンダムビジネスシーン全体に影響を与えたという意味では、規模こそ違えど『HOW TO BUILD GUNDAM』以降の事例でもあった。