アムロ「あの……なんていうか……御好意は嬉しいんですけど……僕にはいただけません」
ハモン「なぜ?」
アムロ「あ、あなたに物を恵んでもらう理由がありませんので……」
ランバ・ラル「ハハハハ! ハモン。一本やられたな。この小僧に」
ハモン「君のことを……私が気に入ったからなんだけど、……理由にならないかしら?」
アムロ「そ、そんな」
ランバ・ラル「小僧。ハモンに気に入られるなぞ、よほどのことだぞ」
クランプ「全くだ。遠慮したらバチが当たる」
アムロ「……僕、乞食じゃありませんし……」
ランバ・ラル「気に入ったぞ。小僧。それだけはっきり物を言うとはな。ハモンだけのおごりじゃあない。俺からもおごらせて貰うよ。なら。喰っていけるだろ、ン?」
アムロ「え? そ、そんなんじゃ……」
兵C「隊長! 怪しい奴をつかまえました」
ランバ・ラル「……スパイか……!?」
兵C「ハッ! 行動不振の女が……」
フラウ「あう!」
ランバ・ラル「なんだ!? 子供じゃないか?」
アムロ「! フラウ・ボウ」
ハモン「あなたのお友達ね」
アムロ「……! え? ええ」
兵C「しかし、こいつの着ているの、連邦軍の制服です」
ランバ・ラル「そうかな。ちょっと違うぞ」
兵C「間違いありません」
ランバ・ラル「そうなのか? ハモン」
ハモン「さあ、そうらしいけど……。その子、この子のガールフレンドですって」
ランバ・ラル「ホウ」
フラウ「!? アムロ!?」
ランバ・ラル「離してやれ」
ランバ・ラル「いい目をしているな。フフ……。それにしては、いい度胸ぞ。ますます気に入ったよ」
ランバ・ラル「ア……アムロといったな。しかし、戦場で会ったら、こうはいかんぞ。頑張れよ、アムロ君」
アムロ「はい。ラ、ランバ・ラルさんも。ハモンさんも。ありがとうございました」

この日を境に、本当にアニメは新世紀に突入したのであろうか?
この「アニメ新世紀宣言」イベントの12日前に、東京築地の松竹本社でおこなわれた、『機動戦士ガンダム(以下『ガンダム』(1979年)の前半1クールを137分にまとめた、劇場用映画『機動戦士ガンダム』(1981年)完成試写では、水面下でいろいろ諸々が起きていたらしい。

「違うな、ということがようやく分かりました」

試写の後、松竹の重役がそうおっしゃってくれた。

その意味はこうだ。

ロボット物、メカ物、アニメというひとつの固定観念からみたときに、「ガンダム」は違う、ということなのである。それがどう違うのかは人さまざまの捉え方があり、「ガンダム」で示した僕の方法論だって、違うといわれる部分の十分の一、百分の一しか捉えてはいまい。

アニメージュ文庫『だから僕は…』富野由悠季著

富野由悠季監督は、1981年の時点の自伝著書でこう記したが、劇場版『ガンダム』の試写で、松竹関係者の中には戸惑いを隠せなかった人もいたらしい。「これでは全体の1/3もないじゃないか。何も終わってはないではないか」と。
本連載第7回『テレビから映画版へと「翔んで」』でも書いたが、この『ガンダム』映画化に関して、松竹サイドは続編を作る気は当初はなく、続編云々はあくまでも、完成した映画のヒット次第で、と考えていた上層部も多かったため、上で記述した『ガンダム』の出来栄えに好意的な関係者ばかりではなかったことが後々判明する。

しかし、富野監督は商売人でもあり策士でもある。第4回で紹介した、1980年10月の記者会見の席上で、先にアリバイを監督個人の見解としてアジテーションしておいたのだ。

「単なる総集編にはしたくありません。上映時間は2時間半にはおさめたいと思っていますが、43本の話を1本にまとめるのは、不可能なことでして、何本かにならざるをえません。私もそれを了承していただいたので、この話を受けました。是非とも一本にというのなら、監督を降ろさせてもらったと思います」

キネマ旬報社『ガンダムの現場から』『月刊アニメージュ』1980年12月号で掲載された、記者会見場での富野監督談話より

これは富野監督が仕掛けた、時限爆弾の勝利だったのだろう。

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