悪の組織のラスボス達の登場!

ガンダムが空を飛ぶ戦法をアムロが考え出した後、ドラマ的には本格的にシャアの謀略話が進むのだが、スーパーロボットまんが的には、第10話『ガルマ散る』で、“もう”この時点でアムロが乗るガンダムにとって、“悪の組織が送り込んでくる”悪いロボット・ザクは、一般兵が乗る量産型に関しては、既に、アムロのガンダムの敵ではなくなっているという描写が自然に成されていて、ここで、夜の市街戦でザクの気配を先に感じ取ってバズーカ一撃で仕留めてしまうアムロの“勘の強さ”も、やはりニュータイプという概念がシリーズ後半の付け焼刃ではなかった事への伏線になっているのであるが、メカ描写としては、ホワイトベースのメガ粒子砲を含む全戦力の一斉射撃の破壊力の凄まじさを描き、“正義の味方側”のカタルシスを爆発させる演出の高さが伺える。

そして、次の第11話『イセリナ恋のあと』は、早くも「悪の軍団対正義の味方」という、この手の子ども番組の基本通りの構図に、小さな恋愛の傷跡が、アムロと視聴者にエクスクラメーションを与える重要なフックのエピソードなのであるが、同時にこの話をスーパーロボットまんが的に読み解くのであれば、ガンダムハンマーに続く「ガンダムの新兵器」ビーム・ジャベリンのお披露目回でもある。

しかし、劇場版『機動戦士ガンダム』(1981年)では、イセリナの復讐劇とワンセットで、ビーム・ジャベリンも(あと、ガンダムハンマーも耐熱フィルムも)なかったことにされてしまう辺りは、『ガンダム』のリアル志向を是とするか非とするか的な問題ではなく、後々語ることになるが、劇場用映画が決してテレビ版の補完ブラッシュアップ決定版なのではなく、テレビ版と相互補完的な意味合いを兼ねていたからの取捨選択であったのだろうと言い切れる。

そして第11話でスーパーロボットまんがとして重要なことは、ガルマの死をきっかけにして、ラスボスのデギン、独裁者最高幹部のギレン、悪役幹部紅一点のキシリア、フランケンシュタインの風貌を持つパワー系悪役の典型のドズルと、「悪の一族」がシリーズで初めて、顔を揃えて画面に登場したこと。
『ガンダム』の斬新性は幾多もあるが、ホワイトベースの面々のところでも書いたが、キャラクターデザインやメカデザインなどが、いかにも古くからの典型的スーパーロボットまんがを想起させるビジュアルで下敷きされているにもかかわらず、徹底して「視聴者の想像どおりの人物像にはしない」ということ。

ジオンの一家もその例に漏れず、一見、粗野で粗暴なフランケンシュタイン系のドズルが、実は一番家族想いで部下にも優しく、人間味が厚く好人物という(まぁこれは、さすがに少し狙い過ぎではあったが)。
ガルマもガルマで、この手の作品には多かった「悪の組織の若きプリンス」感をキャラクターデザインでは強調してあって、デザインでは目つきもヤンキーっぽく、ワルな切れ者っぽく描かれてはいたが、実際の作画での、ちょっとシャイで見栄っ張りで、しかし素直過ぎる好青年な表情や甘えた仕草などは、まさに富野由悠季安彦良和共犯の面目躍如といった趣向であった。

その辺りは、ドズルの肩の「謎のトゲの突起物」や「笑うしかない“悪魔の顔”そのままのデザインの、ジオン宮殿」などで顕著だが、「正しいスーパーロボットまんが」としては、『ガンダム』はすぐさま次のステージに移り進む。

アムロ「ドッキング・サーチャー・始動! 十、九、ハヤト、いいぞ!」
ハヤト「六、五、Bパーツ投下!」
ヘイプ「うっ! モ、モビルスーツになろうってのか!?」
アムロ「グフめ!」

次回「『シン・機動戦士ガンダム論』第23回『ロボットアニメとしてのガンダム・4』」
「昭和の子ども向け」の要素の、その次にある未来を予見しながら、メカロボット物の定番要素をさらに検証!

君は、生き延びることができるか。

(フィギュア再現画像特殊効果協力 K2アートラク

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