――本来の業界用語でいうところのスピンオフですね。

岡本 そういうんですかね。でも、今こうやって話していると、シンデレラガールですね、私! 

――そうですね。1986年は岡本さんは『宇宙船サジタリウス』『メイプルタウン物語』など、一気に当たり年になりましたね。

岡本 そうなんです。声優デビューの代わりに大学受験に落ちて「このまま私声優としてやっていけるの?」って思っていたのに、そんな悩みを忘れられるくらい忙しくなって。本当にありがたいですよね。『ガンダム ZZ』に関しては、『Z ガンダム』の方でエマ・シーンを演じながら、私はどちらかというと、とても奥手の少女だったので、そういった部分を富野由悠季監督や現場の方達が、少女的なもの、リィナ的な要素を見出してくださったんだと思っています。本当のところは知る由もないですけどね。当時の私は、『Z ガンダム』が終った頃に「あなたがやるのよ」って連絡がきてただびっくりしながら喜んでいましたから(笑) 確かお兄ちゃん(『ガンダム ZZ』主人公のジュドー・アーシタ)役の矢尾一樹)さんも、『Z ガンダム』の時に(ゲーツ・ギャバ役などで)出ていらっしゃいましたよね。

――富野監督は、お気に入りになった声優さんは、作品をまたいで翌年も起用するなどの例は本当に多い監督さんですね。

岡本 だからリィナで出していただけたことはとても嬉しかったですね。でも、途中でさらわれちゃうんで、ほとんどその間出番がないっていう、そこだけは悔しくて仕方がなかったですね(笑) でも、凄くいい役でした。ずっとお兄ちゃんが、「リィナ、リィナ!」って言って探すというね。

――これは、僕が声優さんにお話をお伺いする時に必ずお聞きするんですけれども、岡本さんの中で、「声優であること」と「俳優であること」は、どう区別されておられますか。

岡本 私はもともと、さっきも言いましたようにシンデレラガールだったんです。なんにも分からないまま現場に入りました。でも、色々な役を演じてきて、アメリカにも行って、今は「表現すること」ということに関して、教えたりもしていて。その中で教え子から「役作りってどうしてますか」ってよく聞かれるんですけれども、私それ、実は余り考えたことないんです。「エマさんをどう構築しよう」とか「リィナをどう構築しよう」とか、考えたことない。ただしゃべる(生きる)んです。エマとして。リィナとして。

――天才やないですか!

岡本 天才じゃないですよ(笑) やり方がわからないんですよ。本当に。でも「役者とは」っていうのはすごく持っています。今じゃもう売れっ子シナリオライターになっちゃった福田靖さんと一緒に劇団を作って、一人芝居(「岡本麻弥ひとりスペクタクル『ジョナサン!』」1989 年)もやってて、これで演劇界に風穴を開けてやろうと本気で思ってましたから、「芝居とは」って凄く考えはします。高校時代の演劇部の顧問の先生が、人物設定とかを凄く作りこんだり、赤ペンでぎっしり書き込んだりしたうえで、さぁ芝居しなさいって言うんですね。それでやるんだけど一言目を何度言っても「違う!」「違う!」って言われて灰皿投げられるレベルのスパルタだったんです。それもとても大事な経験だったな、って。今になって分かるんですけど、その「一言」が、なんか演じてみた時に「違う」っていうのが、嘘をついてるっていうのがすごく分かるんですよね。その当時も「演技を組み立てる」っていうことは、すごくやってたんですけど、それがベースにあった上で、役者人生を生きてきて「捨てる作業」というのが出来るようになったんだと思います。。声優であっても俳優であってもやってることは結局「嘘」じゃないですか。自分の体験や経験じゃない。なのに、演じてる最中は自分の体験だと信じ込んでいるわけですよ。嘘だと思って言っていない。でも、「それ」を組み立てている時点で嘘だと分かっている私もいるわけです。でも私は、それを信じるんです、ただ。「その言葉」が出てくる自分を。「そこ」を信じれば(台詞が)自然に出てくるはずなんです。もし出てこないとすれば、私かシナリオの解釈かが間違っているわけです。「役を作る」というのは、「頭で作る」は、一番根幹のところでやってきたことではあるけど、私の場合は「エマだから」「リィナだから」って、頭で考えたらできてなかったと思います。頭で考えてたら難しすぎるもん。17 歳に、24 歳軍人の女性とかって。でも、エマさんがいて、そこに富野さんの想いを汲んで脚本家の方が書いてくださった台詞の中に彼女の心情があって、なんでこの台詞に至るかっていうのがあるわけですから、「それ」を言えるということは、エマさんなんだって。つまり、「あいうえお」の言葉の上だけでそういうことを語るのではなくて、その向こうにあるエマの心情と一致すれば、それはエマ・シーンになるんじゃないかなと思えるわけです。いや、当時はここまで考えてないですよ、もちろん(笑) 一生懸命やってただけなんですけれども。だから私は「俳優はこうあるべき」なんて、今も全然言えないんですよ。しかも、これって(役
者の)タイプによるなって分かってるんです。若い声優さんなんかがそういう事を悩んでいますとか言ったとき、私正直悩んだ事なかったなとか思っちゃって。でも、すごくよく分かるんです。(役者には)タイプがいろいろあって、正解、不正解じゃないと思うんですよね。ただ私は単に、考え出したら演技が出来なくなってしまう。だから私の中にある「その役として、生きてきたこと」を信じる……。前後がないと台詞ってしゃべれないわけで、そこに至った経緯という物が想像できれば、「なんでこういう言葉(台詞)をしゃべったのか」ということが、頭(理屈)じゃなくって合点がいくんですよ。なので洋画の吹き替えだったら、向こうの役者が表現している演技を通して「もし私がこの役をもらったらどう演じるだろう」と思うところと、合致する部分が見つかれば、後はなにも考えたりしませんね。

岡本麻弥さんが悩み考えた「俳優という表現者の道」それを超える俳優道にあったのは、岡本麻弥さんならではの人生観だったのかもしれない。

次回、「岡本麻弥アクトレスインタビュー・4『岡本麻弥と「ひとりスペクタクル」とアニメ声優を超えてと』」

君は、刻の涙を見る……。

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