メカの世界観の、道理とビジネス
初めの1クール、2クール目くらいまでは、富野さんと話し合って創っていたのですが、2クール以降になるとスケジュールも忙しくなってきて、また富野さんが求めていることも判るようになってきていたので、富野さんにラフを出して貰って、それをこちらでクリーンナップするようになりました。ですから後半は、かなり富野さんの好きなデザインになってくるわけで、逆に言えば少し不満もあるわけです。
日本サンライズ『機動戦士ガンダム 記録全集 2』大河原邦男インタビュー
ここでの、富野監督の迷いのあと、この大河原氏談話を元に考察するのであれば、富野監督の興味と視野は、モビルスーツという形では、僅かにあとはゲルググとギャンを残すのみで、既に「人の姿を模した機械同士の戦い」から、エグゾダスしたかったのではないかという仮説が成り立つ。
確かに、現実論的な現場状況を鑑みるとして、そもそもの『ガンダム』を成立させてきたスタジオのバンクシステムを前提にすると、最終クールは作画監督・アニメーションディレクターの安彦良和氏が病気で倒れて戦線離脱してしまったというのもあればこそ、ゲルググを新作画する現場の余裕がないからこその、ドムの地上戦での原画やセル、フィルムの再利用への必要性への帰結が、リック・ドムという戦争の最終局面のキャスチングボードを握ったメカであったのかもしれない。
1979年夏の『アニメック』7号の“お馴染みインタビュー”で富野監督は、ドムの発想の決定版的なメリットを自画自賛で称えつつも、同時にこうも証言している。
富野 (前略)ただ問題なのは、逆にこの機動力ってものにやや重点を置きすぎたために、(引用者註・ドムにも)グフと同じような欠点が出てます。つまりグフとドムの中間点をとったもうひとつ違うタイプのものが発生せざるをえないでしょう。
ラポート『冨野語録』富野由悠季インタビュー
ここで、ゲルググの重要性を示唆した上で(実際、“ジオンが開発した、ガンダムと同等の性能を持つ”触れ込みで登場し、ビーム兵器を自在に使いこなす性能を持ちながら、なおかつシャアが乗ってみせた上での、ゲルググのガンダムへの惨敗っぷりは、ドラマ的必然としては非常に有効であった)、富野監督はこう続けた。
富野 さらに時々の戦訓を活かした改良型のモビルスーツなり、モビルアーマーなりが出てきます。こういうことで敵・ジオンが非常に強いというイメージを形作っていこうと思ってます。(ラポート『冨野語録』富野由悠季インタビュー)
ここで語られた「時々の戦訓を活かした改良型のモビルスーツ」こそが、ジュアッグやアッグガイ、アッグなどを含めた“トンデモ局地戦型”の数々の迷いであったのであろうが、この時点で富野監督の「スーパーロボットまんがとしての絵作り」の重心が、既に“モビルアーマー”という、この時点ではまだ聞いたことがない、ロボットまんがの絵としては想像が追い付かない存在の意義に、かなり富野監督自身が浮足を立たせてる様子が伺える。
富野 ガンダムの物語の中で、モビルアーマーという発想をなんとしてでも使わざるをえなかったという点がうれしいのですが、逆にこれをやることで、ガンダムの絵が、より以上に変化してきたという面で、アクションものとして考えてきた時に非常にいいと思っています。今、こちらの課題になっているのは宇宙戦になってきた時のモビルアーマーは一体どういう形態でありうるべきなのかという映像ですね。モビルスーツの改良と同時に新しく考えていかなくちゃならないのでつらいんですが、それなりの楽しみがあります。(ラポート『冨野語録』富野由悠季インタビュー)
といった感じで、この時点で未登場(アッザムは先行登場していたが)だった“モビルアーマー”という概念は、かなりこの時期の富野監督を強気にさせていた。
それは、水陸両用モビルスーツシリーズの袋小路から来たギャクギレ的な自己鼓舞であった要素もあるのかもしれないが、この時期、富野監督はひょっとすると、本気で「スーパーロボットまんがという踏切版からスタートさせた『ガンダム』を、その外側の、未知数なSFアニメ世界へ“翔ばせる”心意気」もあったのかもしれない。
“そこ”への意気込みと現実、そして『ガンダム』のスーパーロボットまんが論の結実-は、次回にお読みいただこう。