――今日は、市川大賀と三留まゆみさんのクロストークということで、お二人ともよろしくお願いいたします。

大賀 そりゃもう、本当によろしくお願いします。

三留 なんでウルフマン、硬くなってるの?

大賀 そりゃ「初恋の人」相手の前だもの(笑) 僕の中学時代の先輩が、今も大女優の薬師丸ひろ子さんで、僕はそのころ薬師丸さんの後ろを追いかけて、角川書店『月刊バラエティ』の編集部とかにもよく通っていた。そんな薬師丸さんの新作が当時公開されて、それが『ねらわれた学園』(1981年 監督:大林宣彦)で、当然試写でそれを観たんだけど、アレ?おかしいな。薬師丸さん目当てで観に行ったのに、劇中の教室に、もっと美少女がいる! 誰だこれは!? と調べてみたら、それが「三留まゆみ」とクレジットされていて、僕がスクリーンでの「初恋の人」が三留(まゆみ)さんだったわけ。まずはスクリーンで釘付けになって、その後、三留さんの映画批評もハマるわけですが、アレって今のビジネスシーンでいうところの「グラレコ」グラフィックレコーディングを先駆けた手法で、日本でそれを始めたのは和田誠さんでしたっけ。

三留 和田さんはシンプルで多くを語る。絵を描いてストーリーを語る。和田さんと言えば、私が素敵だなぁと思ったことがあって。私は和田さんとも、何度か食事とか飲みとか、御一緒したことがあるんだけども、そのころに和田さんの原画展を観に行ったことがあるの。で、何が驚いたかっていうと、(和田氏の原画に)修正の跡が全くないの。消しゴムの跡すらない! 消しゴムの跡がないってことは、迷い線すらないわけ。もう本っ当に綺麗な、もう、すぐ描いちゃってるんだろうかっていうような、全く修正がない。どの原画もそうなの。その原画を見て私はほとんど、『アマデウス』(1984年 監督: Miloš Forman 原題: Amadeu)のサリエリの気持ち!

――「サリエルの気持ち」というのは?

三留 映画の『アマデウス』劇中で、サリエリがモーツァルトの楽譜を見るワケ。でもそこには全く書き損じがない!

――はぁー!

三留 和田さんに会った時、「私はサリエリの気持ちでした」って言ったら、ジャズメンを描いたイラスト集を送って下さって、「いや、三留さんの元にもきっとサリエリが訪れます」という手紙をくださったの。

お楽しみはこれからだ

お楽しみはこれからだ

大賀 (サリエリの)足首ぐらいはもう掴めました?

三留 いやぁー(笑) 

大賀 でも、和田さんがベースにあるからなのかな。三留さんの画風は漫画じゃないのね。漫画を描いてても「イラスト」なのね。

三留 まぁ(出身が)美術系の学校だったんで、高校のころ、漫画は描いてたんですよ。漫研(所属)でもあったんで、同人誌もやってたし。それこそ蒲田産業会館のころのコミケにも行って売りまくったり。学校のころは、漫研と「フォーク&ロック同好会」ってのに両方入ってたの。「フォロ会」って呼んでたけど(笑) 1977、8、9が高校時代だったので……その時に漫画描いたりしてたんだけど、自分で「うーん、自分は少女漫画を描くのは向いていないなぁ」と思って。「そう(少女漫画)じゃない絵が描きたい」っていうのかな。特に意識してそうしようという意識はなかったけど(画風が)「オンナノコっぽくない絵」になったのかな。絵柄だけじゃなく、文章とか、撮った写真とかも「男性っぽい」って言われるの。甘いところがないんだって(笑) だから、文章とかもキツイんで、「いや、もっと怖い人かと思いました」ってよく言われるの、

大賀 僕のライフワークメインテーマは、このサイトでの『シン・機動戦士ガンダム論』もそうなんですが、「70年代的なる物から、80年代への飛躍」なんですが、今の三留さんのお話を伺っても思うのが、70年代までは、女性は少女漫画の画風で描く、男性は少年漫画を描くというのが大前提のセオリーとしてあったわけです。それが、80年代に図式が崩れるじゃないですか。

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