三留 「女の子漫画」っていうのが出てきた。それが、70年代の終わりぐらいなんだけどね。その時に大島弓子を、男の子が読んでもいいんだ! っていうか、読んでたっていうね。

綿の国星

大賀 そこから、例えば高橋留美子が少年漫画に『うる星やつら』を描いたり、逆にあだち充氏が男性なのに少女漫画の世界で活躍したり。そういうのが70年代終盤から80年代初頭にかけて、グラデーションなんだけれども、その時期サブカルチャー全体が良い意味で捻じれていったというか。

うる星やつら

三留 確かに、70年代には70年代の良い物があって。それはアメリカンニューシネマであったり、ATG映画であったりとか、東映のヤクザ物もそうなんだけど、一言で言うと「映画がすごく不良だった」のね。それが80年代に入ってすごく明るい娯楽になった。……といっても、今の「明るい」とは全然比較にならないんだけど。まぁ80年代は「軽薄の時代」とかいろいろ言われて、バブルもあったしね。私(大学が)1980年の入学なのね。だから自分の中でも70年代と80年代ってカッチリ別れてるの。でも、そのころに(大学の)先輩たちは、(自分たちが)50年代生まれであることを、すっごく自慢してたの。

大賀 それはすごく分かります。僕は例えば1966年生まれで、『ウルトラマン』の初代はちょうどその年に放映されたんですが、0歳児でテレビが見られるわけないじゃないですか。だから僕のウルトラマン原体験はその後の再放映なんですけど、『ウルトラマン』にせよ、『鉄腕アトム』(1963年)にせよ、それらを本放映で観れた上の世代に対する憧れやコンプレックスがすごくありましたし、70年安保も知らないという、上の世代の皆さんへのコンプレックスは、今もあります。

三留 そのコンプレックスはどの世代もみんな持ってます。でも、それってどんなに願ってもかなわないじゃない? それで、私は1961年生まれなのね。先輩たちは1959年組が多くて、うちの学校はもっと大先輩たちも普通にいたから、「50年代生まれだぞ」っていうのがすごく誇りになるという。で「60年代生まれはダメじゃん!」みたいなことを……言われたなァー(笑)

大賀 そういう意味では、芸能界っていう世界があるとして、今の芸能界もまだ、とっくにブームが去ったはずのグループサウンズ(GS)の人達によって表も裏も培われているじゃないですか。作曲に回った井上堯之さんとか大野克夫さん。70年代からコメディの方に行った堺正章さん井上順さん。その後も音楽のカリスマだった沢田研二さんや、俳優として一世を風靡した萩原健一さんや、後の芸能界を牛耳るジャニーズ事務所を立ち上げたジャニ―喜多川さん。皆さんGS出身者なんですよね。で、そのムーブメントが起きたのが、僕が生まれる直前のビートルズブームだったわけです。三留さんは(GSブームに)ギリギリ間に合った?

三留 そうね。道を挟んで向かいの家のお兄ちゃんが、物干し竿でデンデケ(60年代に若者に支持されていたアメリカのバンド、ザ・ベンチャーズ独特のエレキギターの演奏)やってたりとか(笑) 前に大林(宣彦)さんに、『青春デンデケデケデケ』(1992年)の時にインタビューした時も(大林監督が)「あれはね、タイトルは『青春デンデケ!デケデケ……』って(読む)んだよ」って言ってたのね(笑)

大賀 タイトルの読み方のトーンの正解があるんだ(笑)

三留 そう(笑) 「『デンデケデケデケ』って平坦に言っちゃダメだよ。『デンデケ!デケデケ……』なんだよ!」って(笑)

次回第二夜「三留まゆみとBrian De Palmaと」へ続く

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事