三留 あははは。ただね、よく反論してたのが、「デモに行くことだけが反動じゃないし、私はそれが全てだとは思わないし、それで必ずしも(政治や社会を)動かせるとも思ってないし」って。いろんな発信の仕方があっていいと思う。

大賀 むしろ近年、「フジテレビデモ騒動」っていうのがあったじゃない? あの騒動以降、「デモなんて愚かな運動は、スルーしていい物」って、社会がスタンピングしちゃったような気がする。

三留 なんか娯楽イベントになっちゃったのね。例えば以前、ベルリンで大きなデモがあって。それがまだブッシュ(アメリカ大統領)の時代で、イラクに空爆をするかどうか、決めかねてる時期のことだったの。そこで、イラク空爆に反対するっていうデモが、世界同時多発的に起きた。その流れでベルリンでもデモが起きたんだけど、その時ベルリンの友達に聞いたら、(デモは)ごく普通の光景だと。我々がデモに参加するのは当たり前だし、私も子どもを連れて行ってきたところだ、と。ただ、そのデモでみんなが個々に抱えてたものと、フジテレビデモの場合はちょっと違うと思う。それと、3.11で、原発が爆発して、あの時に私は、世界が変わると思ったのよ。

大賀 僕も変わると思った。

三留 みんな変わると思ったと思うんだ。私たちは当時浅草に住んでいたけど、近所のスーパーとか電気消して、何もなくなって、「電気はとにかく使わないように。まず私たちに出来ることはこういうことだ」って、いろんなところがそういう意思表明をした。そして「誰かのことを想う」また「自分が出来ること」を必死に考えてた。スーパーに物が何もなくても「まず被災地が優先だからね」で納得しあってた。だから、社会全体が「お互いを思いやって、手を差し伸べ合って」って、そっちに舵がきれると思ったの。でも現実はそうじゃなくって、むしろ3.11後から、ヘイトスピーチとか、ヘイトデモとか、平気で出来る社会になっちゃった。だから、あそこでタガが外れたの。全部、逆の方向に舵をきっちゃった。それまでは思ってても口に出さなかったようなことまでをも、平気で口に出来るようになって、そのまま今に至っちゃった。

大賀 だから今は、マウンティングと、「正義という旗印のビーチフラッグ」みたいになっちゃってるんだよね。社会全体に「弱者がのさばるのを許すな」みたいな、訳の分からないロジックがまかり通っている。

三留 だってそれって、自分たちが何か被害を被ったわけでもないはずなのに、「得をするのは許さない」っていう。その対象が外国人だったりすることを平気で言うでしょう? そういうのは許せない。信じられない。だから本当は「誰かが得をしている」とかじゃないんだよね。本来は、きちんとシェアしあうべき物であったりとか、(福祉)手当を受けるべき人たちがいたりする中で、共により良い方向に生きていくっていう。その「当たり前のこと」を、「なんか悔しい」とかさぁ、「ずるい」とかさぁ、言ってるわけでしょ? だけど、その人たちは何と比べて「ずるい」って言ってるのかなぁ。だったらば、もっと怒るべき敵はいるだろうよっていう(笑)

大賀 それを聞いて、今、つい最近拡散されたTwitterの文面を思い出したんだけど。まぁ僕は80年代PUNKSでした。PUNK小僧で、ARBとかルースターズとかロッカーズとかサンハウスとかを聴いては、遊び惚けていたんだけれども。そのTweetにこう書かれていたのね。「甲本ヒロトが言った。PUNKSは、ルールは破るけど、マナーは破らない」って。要するに「赤信号は停まらないけれども、横に小さな子どもが一緒にいたら、信号を守るのがPUNKSだ」とね。音楽文化論でいえば、フォークソングだってそもそもは、「赤い手ぬぐいで四畳半」じゃなくって、フォークはFolkだから、その土地、その社会、その文化の中で、訴えるべきことを自由に歌う。それがフォークだから、高度経済成長期にはフォークゲリラなんて風習もあったわけでしょ。少なくともその時代までは、日本社会でもフォークがFolkたりえてた。でも、それは民衆の本音を歌う代償行為だったから、反体制的な要素が多分にあったんで、時代の流れと共に「個人の幸せを歌うジャンル」に変質させられたという流れがあった。その代替としてPUNKが80年代に僕らの世代に浸透したんだけれども、そこには石井聰互監督の映画(『爆裂都市 BURST CITY』(1982年))の“映画という表現の力”とかもあってこそ、だった。でも、そのPUNKも、今はただのビジュアル系バンドのジャンルへと形骸化させられちゃった。そう考えていくと、今の若い人たちにとって、そういったProtest Songみたいな、怒りを託せる依り代みたいな文化ってあるんだろうか?ってすごく思う。

三留 それはだから、「考えない」からだね。想像力の欠如であったり、思考停止であったりっていう。うーん、「考えない」のは楽なんだよ! 長い物に巻かれるのも楽で、それを(現代を生きる日本人が)身に付けちゃったんだよね。残念なことだけど……。どうしたら目を覚めさせることが出来るか……。原発事故が起きても、目は覚めなかったわけじゃん。

大賀 それは『機動戦士ガンダム』(1979年 監督:富野由悠季)の富野監督なんかもね、「あの原発事故が起きた時点で、変わらなかったこの国は、もう手のつけようがなくなってる」っておっしゃってるんですよ。確かにこの国は、90年代ぐらいからゆるやかに右傾化していたんだけれども、ここ数年で急速に、右傾思想がファッションから、スタンダードになりつつあると思う。それはとても怖い。

三留 「そこ」に異を唱えない人たちがたくさんいて、支持する人たちがたくさんいて……。でもそれ、支持してるんじゃないんだよね、多分ね。

大賀 放置してる。

三留 放置してるだけなのね。何もしないってことは、支持してるってことと同じ。

次回「三留まゆみ×市川大賀 第十二夜「三留まゆみとディスカッションと」」

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