16年も前の、僕の個人的な過去の話だが。
当時、僕は最愛だった奥さんを亡くした経験がある。
子どもこそ作らなかったが、この人と生きていこう、この人と長い道を歩いていこう。常にそう願いながらともに歩み続け、しかし、その願いは儚く、僅か数年で散り去った。
二人とも、当時30代。
青春はとうに過ぎ行きた年齢だが、天寿を全うするにはまだまだ早すぎる、若すぎる年齢で。
二人はお互いともに「この人以外の世界の全てと引き換えに」伴侶を選んで、そしてやがて、天国と現世に道を別れた。
もとより僕は、家族も親戚も(元がブルジョワだっただけに、バブル崩壊で受けたダメージもでかく、僕の親戚一同一族は離散になった)もう、どこにも誰もいずに、独りになって、今の生活を始めることになった。
それが確か2005年の出来事で、この『さんさん録』を単行本で知ったのが2006年の春。
その頃僕は、まだまだ“あの日”を思い出すたびに、パニック発作や過呼吸に見舞われるレベルのトラウマが大暴れ中で、亡妻さんと暮らしていたアパートから、駅を挟んで逆の側に新しくマンションを借りたのだが、なにがどうあっても、“駅を挟んで向こう側”へは行けない身体になってしまったらしく、駅を通り過ぎて“向こう側”まで歩くと、呼吸が荒くなり眩暈がしてくるというありさま。
同じ症状は、自宅内に居ても見知らぬ街に仕事で滞在していても、“あの日”が来るたびに、毎年苦しむ日が数年は続いた。
『さんさん録』は、いわゆる「日常系」に属し、仕事からも社会からもパージされた壮年主人公の、息子家族との何気ないふれあいやエピソードを綴っているのだが、その中の第17話『真夏の傷』で、主人公参平は、皆が仕事や学校に出かけた後の一人の時間を持て余し、息子と顔見知りの「出来る系OL」仙川さんと出くわしたので、ついつい「この一日を一緒に過ごしてくれ」と、仙川さんの休日に付き合って過ごすことにする。
夕方の帰り道。参平は仙川さんにぼそりと呟いた。
「おれ、へんだろう。ちょうどこの時期でな。独りでいるとずっと思い出してしまってなあ。買い物ぐらいおれが行ってやりゃ、車にはねられたりしなかったんじゃないかとか」
こうの史代女史の「凄み」は、戦時中漫画でもそうであるが、何気ない日常と、人の一生を変えてしまう悲劇、その悲劇によって変えられた人の生業を、等しく愛しいものとして、トーンやコンテのタイミングやエネルギーを変えずに等価で描いてみせつつ、それを読者の胸の奥に刻み込む手腕である。
仙川さんは、実は参平の息子に恋慕しているのだが、それを見せることをせず、参平はそんな仙川さんを壮年の身から見守ってあげるしか出来ず、しかし仙川さんは、最終的には参平そのものへ、心を入れ込んでしまうという辺りが、この漫画の唯一の、ファンタジーらしい作り話じみた流れではないだろうか。
上で引用した台詞を、ただそこに、居たからという理由だけで仙川さんに向けてしまった参平。
その参平に、“心の中で生き続ける愛妻”が、帰り道にそっと語りかけてくる。
「ちゃんと見てる? 参さん。あなたときたら、すぐ余計な事ばかりして、大切なことを見落とすんだから」
そこでの、仙川さんとの逢瀬は、全2巻というルックスの中での、最終回への重要な伏線になるのではあるが。
僕の亡妻さんが、この世界の片隅から、姿を永遠に消し去ったのも、やはり真夏の出来事であった。
そんな僕は、せめてファンタジーらしい漫画世界とは違って生身の世界の住人なので、仙川さんのようなヒロインが現れてくれるはずもなく、それゆえに“大切なこと”を見落とすような真似もせず、『たった一人しかいなかった、全てと引き換えた“世界”の片隅』で今日も生き続けている。
「参平さんて、まだ奥様を愛してらっしゃるんですよね」
だからこそ、仙川さんはそこで参平に向けて図星を突いてしまうのだ。
やがて第24話『赤い糸』では、ある種の“そこ”への、参平なりの自己回答が、葛藤と共に描かれる。
いつものように「家事豆知識ネタ」で、毛糸の編み方から入った物語が、毛糸の先がどこかでほつれて、参平はそれを追って公園に行く。そして“そこ”で、“夏の傷”と向かい合うのだ。
そこでは、毛糸の編み物の仕方を『さんさん録』に書き残しておいた、参平の愛妻の幻影が、ベンチで編み物をしながら参平に呟くのだ。
「……ついでに、思いがけない恋もせず、失恋もしそびれた。参さんがまじめだったおかげで、ヤキモチもやきそこねたわねえ」
編みおわったマフラーを、遺した愛夫の首に巻いて、少し微笑む妻。
「参さん。わたしのしそこねたことを、うんとして下さい。わたしの出会いそこねた人を、うんと大切にして下さい。そしていつか、ヤキモチのひとつでも手みやげに、持ってらっしゃい」
「おい誰の話なんだ!?」と問いかける参平に。
「さあ知らないわ」
そう答えて消えて行く、かつて生きていた、今も愛する妻の幻影。
本当は、参平の息子の詩郎に横恋慕した先での、参平との出会いに至った仙川さんとて、皆なにかしら、人との繋がりの先で出会い、気付き、支え合う関係に至るのだと、こうの女史の筆は静かにそれを書き綴る。
人はみんな、現世で生きる存在なので、世界から旅立った人を、如何に自分の胸中で活かそうとも、おのずと今を生きる自分の都合に当てはめて、我田引水解釈をしてしまいがちになる。
ここでの会話も、亡くなった参平の妻の意思が本当にそう告げたのか。参平自身が参平の深層心理の中に“正しく”住み続ける亡妻さんを使って、自分で自分を“許して”あげたのか。それは些細なことだが、本作のターニングポイントとして重要である。