『祭りのあとにさすらいの日々を』

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『傷だらけの天使』最終回『祭りのあとにさすらいの日々を』 (監督・工藤栄一)
そこでショーケンと水谷豊は、信じていたもの全てを最終回の冒頭で一瞬にして失い、とにかく、どうすればいいのかも分からないまま慌てふためき、逃げるあてもなく、頼れる伝もないまま野良犬のように足掻き彷徨い続けるしかない。
そしてやがて、水谷豊は「たかが風邪」でコロリと死んでしまい、その死体を乗せたリヤカーを引っ張ったショーケンの疾走で、ドラマは幕を閉じる。

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『傷だらけの天使』とは、結局なんだったのだろうか

時代は、70年安保を過ぎ去り、若者は皆、未来や民主主義に対する希望を失っていた。オイルショックが日本を襲い、それまでの繁栄と発展に彩られてきた日本という華やかな国家に暗雲立ち込め、空には光化学スモッグの暗雲が、そして地下には日本を沈めようとする大地震への胎動が(実際、最終回冒頭の夢のシーンでの大地震は、製作と同じ東宝の大ヒット映画『日本沈没』から流用された)遅い来た時代。
ベトナム戦争で、正義と平和はただの戦争のアジテーション用小道具に成り下がり、その中で、欲望とエゴをむき出しにして、毎回ブルジョワを出し抜いて、一山当てようと地べたをはいずり回るショーケンと水谷豊。
しかし、気付いてみれば結局自分たちは、岸田両氏の手のひらの上で踊らされ、結局良いように利用されるだけで、リスクは全て自分たちが被るしかない構図が最初から出来上っている。
せめて、でも、その中で、幸せぐらいはつかみたい。人並みの夢程度は持っていたい。それすらも“妄想”の中で抱きしめるしかなく、二人の若者は、70年代中盤を襲った急激な不況とデカダンスの中で、底辺の者同士で連帯を持つしか拠り所がない状態で生きていくしかない。

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当時のテレビドラマは、まだまだ一部を除いて「映画の格落ち」扱いではあった。久世光彦、今野勉、真船禎、山際永三、等々、優れたテレビディレクターは進出してきていたが、安保闘争を過ぎた映画青年たちは、前年に大ヒットした『仁義なき戦い』(監督・深作欣二 1973年)や、高倉健氏の東映任侠路線映画をはじめとした名画座でのリバイバル映画などを至上の映像娯楽としていて、ナウなヤングたちは映画館の映画にシビレていた時代だった。
時代の敗北感は社会を覆い、ハリウッドからやってきたアメリカン・ニューシネマも、そのPessimismが敗北感との同調を誘いヒットし続けた(最終回『祭りのあとにさすらいの日々を』などは『真夜中のカーボーイ』(原題: Midnight Cowboy 1969年)そのままに痛快じゃないか)。
夢や救世主、栄光などと、若者という存在は遠く離れたところにあるのだという現実を、『傷だらけの天使』は植え付けた。
その当時の印象を、市川氏はこのシナリオ集のあとがきでこう記している。

『傷だらけの天使』は、その演出陣に映画界の第一戦級の監督たちが並んでいたお陰で、いつもはテレビドラマを小馬鹿にしている映画青年たちからもウケがよかったのだ。

『傷だらけの天使』市川森一脚本集

市川氏、柏原氏、工藤監督、深作監督をはじめ、そういったアルチザンたちが『傷だらけの天使』で込めたかったもの。往年の名作映画たちへのラブレター、時代の敗北、鬱屈、やるせなさ、悲壮感、この、1974年という時代にしかない一瞬の輝き。
そのあとがきで、市川氏はこうも書き残している。

あの頃は、ショーケンも、水谷豊も、飢えた狼のように牙をむき、眼をぎらつかせていた。かくいう手前ェも、栄養不良の道化師といった風体で、あちこちとうろつきまわっていた。桃井かおりも、坂口良子も、関根恵子も、まだ、まるまると肥ったおぼこ娘だった。
あの頃は、仕事とあそびの区別がなかった。あそびがいつの間にか仕事になり、仕事のつもりがあそびになっていた。ドラマを書くということが、面白くて仕様のない季節だった。
テーマ曲に、時代遅れのロックン・ロールをとりいれたり、嫌がる水谷豊の長髪にポマードを塗りたくってリーゼントを復活させたりしたのも、いってみれば、あそび半分の所業でしかなかったのだが、思い返してみれば、当時はまだ、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドも、アメリカン・グラフィティもなかった時代だったから、流行ということにかけては、かなりの先取りをしていたことになる。

『傷だらけの天使』市川森一脚本集

市川氏はこのように書いているが、柏原氏の寄稿コメントや筆者の推測でその現象を読み込めば、やはりロックン・ロールやリーゼントの復活は、流行の先取りというよりはノスタルジィの産物ではなかったのかと思われる。市川氏は、佐々木守氏や宮崎駿氏、大江健三郎氏などのように、戦後民主主義に夢を見て、その反動で戦い続けたわけではなく、自身の憧憬と、思春期までの青春時代に全てを注ぎ込んで、そこで「人が自身の憧憬や原体験に拘り、拘ることで得られる心の幸せのメカニズム」の構築に心血を注いだのだ。

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