筆者にとって「70年代を象徴する漫画」を三つ挙げろと言われたら、躊躇も文句もなく『トイレット博士』『侍ジャイアンツ』と共に、望月三起也氏の漫画『ワイルド7』を挙げるだろう。
いや、筆者にとっては狩撫麻礼原作の『迷走王ボーダー』と共に、『ワイルド7』が人生の教科書だったと言っても過言ではない。

直接のきっかけは、70年代初頭に国際放映が実写で放映していたドラマ版『ワイルド7』(1972年)が、子ども心にドハマリした原因なのだが、その後小学校高学年時期に買い集めた少年画報社の単行本で、飛葉ちゃんや八百、オヤブンや草波隊長の魅力に取りつかれ、飛葉ちゃんから(うどんの作り方以外の)「人生で大事な事」の殆どを教わり、今に至ってるのが筆者の人生なのである。

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(国際放映制作『ワイルド7』1972年実写版)

その漫画が(途中不定期ながらも)10年も連載が続けられた長期作品だからか、その仮定で数々の「重要(と読者に期待を抱かせた)な伏線」が殆ど回収されてないからか、上記した実写ドラマ版の出来にすこぶる機嫌を悪くされた望月先生が(これは事実。実写ドラマ化の際の放映初期で、早々と事実上の協力関係撤退をしている)その後、長年に渡り「自作品の映像化」に対して消極的であったためか、『ワイルド7』は昭和を代表する少年漫画でありながら、ながらくアニメ化は行われずに、80年代のアニメブームも通り過ぎた。

そもそも望月三起也先生の画がアニメ向きではなく、また原作の絵柄が、時代、技術の蓄積によって変化し続けたために、いざとなった時でも「どこの絵柄」を軸足にしてアニメ化すればいいかも定かではなく、僕のようなファンもうるさい背景があったのは理解していたので、僕は『ワイルド7』のアニメ化は思春期の頃からは諦めていた。

時代は90年代前半。
富野由悠季監督が『機動戦士Vガンダム』(1993年)をテレビシリーズで送りだし、押井守監督が『劇場版機動警察パトレイバー2 The Movie』(1993年)を映画館にかけ、絶大なブームを巻き起こしていた『美少女戦士セーラームーンS』(1994年)が席巻し、まだ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)が出てくる直前の1994年。
ある意味でアニメ文化過渡期の混沌を極めつつあったこの年に、まずはいきなり(当時徳間書店から出版されていた)『新ワイルド7』のOVA化が、単行本の帯で紹介されて、そこには(何故か)アニメの1カットの草波隊長が描かれ、弥が上にも、長年の望月三起也・ワイルドファンの期待と機運が高まった。
なるほど「今の時代(註・90年代)」にアニメ化するのであれば、むしろ70年代の原典初作はそっと触れずに、新作版をアニメ化する方が妥当である。
しかし、その『新ワイルド7』のOVA企画がどこをどう巡ってどうなったのか、(知っていても書けない事はある訳で(笑))いつの間にやら立ち消えて、消えたと思ったらいきなり発表されたのが、OVA版『ワイルド7』(1994年)であった。

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「裁判、逮捕などの手続きを取らず、悪党とみなせば退治する」
「そこらの警察署長の肩書よりも高いバッジを見につけた白バイ部隊・現代版新撰組」

その辺の『ワイルド7』の本筋は原作のみならず、ドラマ版でも充分生かされてきた訳で、このOVA発売時に注目されたのは「事実上『望月キャラがアニメで動くのは初めて』という、未曾有の企画」を、代表作にして根強いファンを持つ『ワイルド7』でやってしまう」賭け。
「望月キャラのアニメ」といえば『マシンハヤブサ』(1976年)が過去にあったが、あれは松本零士における『惑星ロボ ダンガードA』(1977年)のようなもので、なにしろ物が『ワイルド7』だけに、期待も無駄に高まってしまった。

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既に「漫画がアニメ化される時の原作忠実性は、どう足掻いてもそこそこの域を出ない」と言われていた時代も終わり、同年には横山光輝氏の『マーズ』も原作に忠実に再アニメ化されたこの時期。
やはりそこで「『ワイルド7』が産み落とされた70年代の空気を、アニメで再現します」と、記者会見で堂々宣言されようものなら、こちらも絶対期待をしてしまう訳だ!
監督は『シティーハンター』(1987年)シリーズで演出を務めた江上潔氏氏。
絵コンテ等も山口祐司氏(虎田功名義)や河本昇悟氏等、サンライズ系のスタッフで占められている。
すかさずここで(うるさ型の)筆者みたいな偏屈マニアは「あぁん?『シティーハンター』のスタッフで『ワイルド7』んぅう?」等と、語尾を上げて鼻白んだものだったが、まぁ文句は作品を見てからでも遅くない。

批判や反論を承知で言えば『ワイルド7』の魅力とは「リアルな銃器とリアルなバイク。残虐とも言える殺戮描写を、吉田竜夫系譜の絵柄とダイナミックな構図で楽しむ」であり、そこがタマラナク魅惑に溢れた作品であったからこそ、飛葉ちゃんの生き様や漢らしさといった要素も輝いたのである。
そしてその「悪党を倒す力は、悪の側からでも用いなければ」という概念それこそが、(いずれ筆者流の『70年代ヒーロー像』研究とでも題してまとめたいが)まさに70年代のこの時期『デビルマン』『仮面ライダー』をはじめとして、果てには『ミクロイドS』等で手塚治虫御大まで巻き込んだ「ヒーロー漫画」の流れとして、「70年安保の後の時代」を生き抜くために、描かれるべき構図だったのである。
『ワイルド7』はその漫画連載開始は60年代だが、そういう意味でも70年代を象徴する作品だと言えるだろう。
そうなると「『ワイルド7』を映像で描く」という行為は、イコール「70年代を描く」ことと同期しなければならないというのがファンの本音だ。

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