まずは「70年代性」について。
原作では第一話にあたる『野性の七人』が、70年代の「どこ」を示唆しているのかは明確にはされていないが、1969年から1979年までの10年間の連載期間の時系列の中で(ここは漫画のお約束だが)飛葉ちゃんはじめ、殆どのキャラが年齢を重ねていない事と、漫画版のブレイクと同時に、アオシマがプラモデル展開を企画して、国際放映がドラマを企画した時期を考えると、やはり70年代序盤と考えるのが妥当だろう。
しかし、そこである程度の幅を持たせたとしても、やはり違和感が出てくる。
「このアニメを作ったスタッフは、『ワイルド7』云々以前に、70年代そのものを、ちゃんと勉強したのだろうか」と。

例えばOVA版『バイク騎士事件』では、上記したように原作でのキックボクシングの代わりに、女性同士の派手なコスチュームでの、後の女子プロレスブームを想起させる、キャットファイトを流行させる策が出て来て、そこに薄幸のヒロインが巻き込まれたり、飛葉ちゃんが一対一の決闘をしたりするのだが。
ここでの、キャットファイターの、コスチュームのデザイン概念や企画骨子が、80年代風過ぎるのだ。

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薄幸のヒロインポジなんだけど、意外とノリノリに見える
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悪役女子プロレスラー?センスが……

70年代序盤の女子プロレスというと、まだまだメディアではとり上げられる程の物でもなく、それでも(あくまでタレントを兼る形で)マッハ文朱が脚光を浴びたのが1974年。
最初の女子プロレスブームを飾った、ビューティ・ペアの絶頂期は、『かけめぐる青春』レコードが爆発的に売れた1976年である。
仮にそれを当てはめたとしても、70年代中盤以降。アニメ劇中での衣装デザインやイメージは、むしろクラッシュギャルズ以降のそれに近いが、クラッシュギャルズの結成は1986年であり、とてもではないが70年代っぽいとは言えない。

また、劇中では(これも原作にはなく余計な追加要素なのだが)バイク騎士を、テレビで戦隊物のヒーローとして扱うという「メディア戦略」が企てられる。
「そもそも、全国民が度肝を抜かれたような大殺戮犯罪を起こして、中継報道もされた軍団を、デザインそのままに正義のヒーローとして扱うなど、矛盾極まりない」という意見もあろうが、突っ込むべきポイントは、実はそこではない(ちなみに望月三起也氏の原作の、違う話の中では『イナズマン』(1973年)のパロディで、テレビの中のヒーロー『シラズマン』が出てくる描写もある)。
それを知らせるテレビ画面では、タイトルが『銀河戦隊バイクナイト』となっている。

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最後まで観てもこのメディア戦略は理解できなかった……

これはまぁ、誰が見ても(現在も続く)東映戦隊シリーズのパロディなのだが、戦隊シリーズは一応『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)が始祖ではあるが、戦隊は、最初からシリーズとして企画されたものではなく、現代の戦隊史でシリーズ扱いの『ジャッカー電撃隊』(1977年)『バトルフィーバーJ』(1979年)も、当時はまだ単発の企画物であり、戦隊がシリーズとして軌道に乗り始めるのは、まさに80年代を迎えて作られた『電子戦隊デンジマン』(1980年)からなのである。
ここで描かれる『銀河戦隊バイクナイト』の画とニュアンスが、「70年代のヒーロー物のトータルなイメージを拝借した」というのであれば、露骨に戦隊物の模倣に偏りすぎであり、戦隊物がバリエーションを膨らませはじめるのは、今も書いたように80年代を迎えてからであるので、時代性を粗忽に扱い過ぎる。

そもそも、OVA版『ワイルド7』の劇中設定年が、何年であったとしても、「白黒テレビが主流の時代」「戦隊物がテレビで主流になった時代」とでは、あまりにも時代差があり過ぎて、観ているこちらはシラけてしまう(スタッフの「やらなくてもいいお遊び」にまで突っ込むのであれば、その『銀河戦隊バイクナイト』の劇中番組予告に登場する「悪の組織の戦闘員」が、露骨に『仮面ライダーV3』(1973年)のデストロン戦闘員の模倣カラーリングでデザインされているのだが、あのデザインは、カラーテレビ時代の視覚効果を狙った派手さが売りであって、白黒テレビ全盛の時代背景と同時に描写されるのは、違和感の塊であった)。

そして、劇中で何度も(ワイルドメンバーを指して)使用される「暴走族」という呼び方。
『ワイルド7』はもちろん白バイ部隊であり、そのイメージの原型は『七人の侍』(1954年)『荒野の七人』(1960年)に見ることが出来るが、同時に、60年代の若者の間で流行した、バイクで暴れる集団を指す「カミナリ族」という社会現象がベースになっている。
「カミナリ族」は、70年代には確かに「暴走族」という呼び名へ変化した経緯はあるが、「暴走族」という呼称が一般に定着するようになったのは、これもやはり70年代後半であり、少なくとも「白黒テレビがまだ主流だった時代」とは一致しない

極めつけは、劇中で何度も登場する「ビル壁面の巨大ビジョン」
このOVA版『ワイルド7』の制作が、フジテレビだということと、実際の画を併せてみれば、「それ」が新宿アルタのアルタビジョンであることは、明白に理解できるのであるが、アルタビジョンといえば誰もが『笑っていいとも』(1982年〜2014年)を思い浮かべるように、新宿アルタビジョンの設置は1979年になってからである。

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そもそも白黒ブラウン管のテレビで、この大きさって作れるのか?

理系的には全く素人の筆者の頭で考えても、市井の家庭用テレビが白黒全盛の時代に、新宿アルタビジョンレベルの、巨大なモニタービジョンが存在出来る技術力がある訳ない。
「あえてそこは、70年代に(ギリギリなんとか間に合ってるんだからという超理論で)既に、我がアルタビジョンはあった先駆者なんですよ、とかの、フジテレビ的なイメージ戦略を、劇中に登場する悪徳メディアと、重ね合わせたメタ的表現なのか?」とまで穿ってしまいたくなるレベルで、このOVA版『ワイルド7』という作品の世界の中では「70年代」と「80年代」があちこちで錯綜混同していて、全編でコロコロ、70年代の気分にさせられたり、80年代の気分にさせられたり、観ているこちらが落ち着かず、居心地の悪さがこの上ないことおびただしいのだ。

実際の70年代を知らない(OVA発売当時の)10代が観れば「あぁ昔だね」で一括りなのかもしれないが、『ワイルド7』というタイトルに金を払ってソフトを買う層は、基本的に「『70年代という時代の空気』を知っている層」であろうと思われるし、何より、アニメオタクの基本層が10代だったとしても、このアニメの送り手が10代の訳がなく、少なくとも70年代を知らない年齢層で、スタッフを集めて製作した訳でもあるまい(監督・絵コンテ陣は全員80年代のアニメブームから仕事をしている年齢層である)。

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