細かいアレコレはそこで省こう。
僕は平増氏のおかげで、それからしばらくは、病院のベッドの上で、原稿用紙にペンを走らせた。

一時的に退院が決まり、僕は帰路についた。
我が家についたタイミングで、友人から一本の電話が鳴った。
なんでも、僕に合わせたい人がいるというのだ。
こっちは病人なんだ。会いたいならそっちから来いよと憎まれ口を叩きながら、約束のホテルロビーに向かった。
しばらく待っていると、眼鏡をかけた、見覚えのあるような、壮年の紳士がやってきた。

「こんにちは。平井和正です」

正直言おう。僕は中学生の頃に、平井和正氏のアダルトウルフガイ第一作『狼男だよ』に出会い、感激し、体が震え、その足で近所の文房具屋へ走って原稿用紙を買い込んで、まるまる一冊分、書き写した記憶がある。
僕の人生の稔侍は『不撓不屈』という、ウルフガイシリーズで主人公が口癖にしていた生き方であった。
立ち上がって、直立不動のままの僕に、僕の神様でもある平井氏が笑顔で言葉を続けた。

「僕のファンのウルフガイが、病に倒れて死の淵を彷徨っていると聞きつけて、駆け付けました」平井氏は笑顔で続ける。「犬神明は不死身の狼男、ウルフガイです。あなたもウルフガイであれば、病気なんかに負けて死ぬわけがありません。一度ウルフガイを名乗った同志が死ぬことを、狼男の一族は許しません。だから一日も早く病気を治してください」

言葉が返せない。
涙が出そうで震えが止まらない。
その上で、平井氏は帰り際、まるで帰り道で買い物を思い出したかのように付け足した。

平井和正氏(左)との初対面記念写真。僕は病気治療の副作用で、毛が抜けて浮腫んでいる

「あ、そうそう。あなたがちゃんとウルフガイの名に恥じぬ、その病気から生還してきた時は、僕が今度ハルキ文庫から出し直す、ウルフガイシリーズの文庫の解説を書いてください。そして、さらに、一緒に大きな仕事をしましょう」

僕は、多分その時は「ありがとうございます」を口にしたはずだが、あまりにも小声で、平井氏には届かなかったかもしれなかった。

小さい頃によく見たフィクション=嘘の典型的なパターンだ。
不治の病に侵された少年。元気だったころは野球少年だった。
しかし、今はベッドから起き上がることもままならず、手術を受けても生き残れる可能性は低い。
そこに現れる、王選手だか長嶋選手(アンチ巨人の方は、田淵か掛布をあてはめてもいいです)が現れて、「君の為に僕は明日の試合でホームランを打とう。そのボールを君にプレゼントするから、君は手術に勝つんだよ」と声をかける。
次の日の試合で、見事にスタンドにホームランが叩き込まれる。涙を流し手術に挑む少年……。

『ウソのような本当の話』は、確かデビュー当時の原田知世の歌だった気もするが、そんなことが本当に起き、それが嘘でない証拠は残っていて、平井氏は無事退院した僕に、ウルフガイのハルキ文庫版の解説を一冊分任せてくれて、その上で、平井氏がかねてから傾倒していた、ライナス・ポーリング博士の健康学論を啓蒙する書籍『メガビタミン・ショック』の編集チームに僕を参加させてくださった。

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