平井オフィスにて『メガビタミン・ショック』の打ち合わせ

当時の写真をこうして掲載すると、顔は浮腫み、薬剤の副作用で髪の毛は殆ど抜けてしまい、今より年寄りに見えないこともない(笑)

並行する形で、平増氏の紹介で、僕はとある昭和の御大脚本家さんに師事することになり、そちらではいきなり呆れられた。
そう、僕は落書きレベルで書き文字が汚いのだ。
よく「綺麗な文字を書かなくてもいいので、丁寧に書きなさい」と言われるが、僕の場合、若い頃から斜視が酷く、右目と左目でターレットレンズのように役割が違うので、文字を書く時もペン先を立体として捉えることができない。なのでどんなに丁寧に文字を書こうにも、目分量でペン先を動かさなければいけない。

昭和のドラマや映画で一世を風靡した大脚本家先生は、僕の原稿を見るなり呆れて突き返してきた。

「あのな? 直木賞や新人賞をとった身でもない馬の骨が、書いた原稿に金を払ってもらおうってぇのには、まず読んでもらうまでに相応の苦労があるんだ。まず、君の字じゃあ読もうって気になってもらえないよ。どれだけ内容が素晴らしくても、読まれないんじゃ先はないよ」

仰る通りとしか反応できなかったが、それは多分、同じ弱点を見抜いていたのか、ある日突然、平井先生から、見たこともないコンパクトなパソコンが届いた。
小型だがノートではなく、聞くところによると平井先生の自作だったそうだ。
新しくパソコンを作ったので、あなたはこれを使いなさい。今まで使ってたマシンです、と手紙が添えられてあったが、確かに夢のような話なのだが……。

あいにく当時の僕は、パソコンやITが「『こち亀』の大原部長」ぐらい大の苦手で。すぐさま、学生時代からプログラミング言語をやっていた友人に泣きつくが、向こうがイロハを教えようにも、僕自身がOSの概念さえ分からなかったのだから、そりゃ教える方も苦労する。

家にいる時はパソコンとネットを勉強し、ポーリング博士のメガビタミンを学び、外では大先生のカバン持ちをやり……。
おい、これって、もう、助監督時代よりもハードワークなんじゃないのか?としか言えないレベル。
それでもなんとか、生き延びるためにパソコンを学ぶ。
おかげさまで『メガビタミン・ショック』は刊行されたが、おそらくさすがに平井先生も呆れたのだろう。
その後二度とお仕事のお声はかからなかった。

次回は「市川大河仕事歴 映像文章編Part4『ア・ホーマンス』『隔月刊 宇宙船』」

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事