ここでは暫定的に、1954年の映画『ゴジラ』と、1966年のテレビ番組『ウルトラマン』を始祖として、いわゆる「特撮」は、現代に至るまでに合間を開けながら何度かのブームを経験してきた。
しかし、初期のゴジラシリーズは国民的な娯楽であったし、ウルトラマンシリーズも放映当初は「特殊技術レベルが高い子ども向けヒーロー物」という枠組みであったので、当時を生きた者たちにとっては、漠然とした大きな括りはあっても、帰属意識や研究題材としての対象にはならなかった。
しかし、1972年の『海のトリトン』放映後に、日本初のアニメのファンクラブが出来たといわれる時代を境に、子ども向け番組ビッグバン直前期の1960年代までを、子ども当事者として育った世代が、思春期を過ぎ、論理的思考と解析・検証能力を得るに至り、ゴジラやウルトラマンも「特撮」という形でカテゴライズされ、コミックマーケットが始まる前夜期には、特撮系の同人誌『PUFF』や『怪獣倶楽部』等がファンクラブも兼ねて立ち上がる気運を見せ始めていた。
しかし、そういった「特撮映像コンテンツ研究」の立ち上がりと入れ替わる形で、ゴジラもウルトラマンも、仮面ライダーも一度、スクリーンやブラウン管から姿を消してしまった。
そのすれ違いの後のタイミングで、主にそういった特撮研究をアマチュアで集まっておこなっていた一騎当千の好事家達が社会人になり、やがて特撮ライター、特撮評論家として、ブームや市場を支えていくことになったわけである。
とりわけ、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)の再評価が社会現象化しはじめた70年代後半は、アニメの思春期層向けムック、徳間書店の『ロマンアルバム』シリーズなどが市場を開拓した恩恵もあってか、ウルトラマンも3度目のブームが再燃するタイミングになっていて、そこではヤマト他のアニメブームにビジネスを学べとばかりに、番組用のBGM等を集めたLPレコード『サウンドウルトラマン』が発売されたり、まずは子ども向けの怪獣図鑑の体裁を偽装して、ケイブンシャから発刊された『ウルトラマン大百科』という出版物が、明らかにそこで解説されている文章や作品解析が思春期以降世代向けであったり、そういった流れで空気は温まりつつあった。
そんな中、朝日ソノラマをポータルにして、ウルトラマンシリーズを扱いつつも、明らかに対象年齢を思春期層以上に上げた初の書籍、『ファンタスティックコレクション 空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマン/ウルトラセブン/ウルトラQ』が刊行された。
1978年のこれと、朝日ソノラマが主に日本特撮作品を主軸として扱った雑誌『宇宙船』の創刊(1980年)が、聖咲奇氏をまず編集長として旗印にしながらも、他の『アニメック』等でもアニメ評論で活躍することにもなる、中島紳介・金田益美・安井尚志・氷川竜介・池田憲章諸氏といったツワモノ達が、過去にまだ、マスメディア媒体では決して語られることがなかった、ウルトラマンやゴジラへの、大人目線の批評や解析を、活字にする流れが巻き起こった。