代替テキスト

市川氏の作品には、必ずまず「夢を見続ける人」が登場する。
彼(時として彼女)は夢なくしては生きられず、そしてその夢は、しばしば現実と解離してその夢見る人を孤立化させる。
それでもその「夢」に拘り続け、信じ続け、自身の思い込みや、信頼を裏切る現実が見えてきても、必死にその夢にすがりつく。
やがて現実は、その夢や信頼をズタズタに裏切る、その真の姿をあらわにする。
その現実の前に、佇むしかない主人公。
そこで、主人公は試されるのだ。何に?神にではない。
それでも今まで持ち続けてきた夢を、捨てずに生きていくかどうかを、である。
一見すると格好良いその選択は、決して絵的にスタイリッシュなものではない。
市川ドラマでそれを突きつけられた主人公達は皆、涙を流し、這い蹲り、苦渋に唇をかみ締めて、その道を歩き続ける。

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果てしない絶望を伴った「現実」を突きつけられてもなお、それでも夢を持ち続けることができるのか? と市川ドラマは視聴者に問いかけ続ける。

ここまでの、市川ドラマ解説を読んだウルトラファンの方の中には「あ、それって『ウルトラマンA』(1972年)の最終回だよね」とか「つまり『帰ってきたウルトラマン』(1971年)『悪魔と天使の間に…』のことか」と受け止める人もいるかもしれないが、しかし、ドラマ界では伝説を残した『傷だらけの天使』(1974年)の最終回『祭りのあとにさすらいの日々を』をはじめとして『グッドバイ・ママ』(1976年)『港町純情シネマ』(1980年)『淋しいのはお前だけじゃない』(1982年)『夢の指輪』(1985年)など、市川氏のドラマは、そのほとんどがそういった構造で作られているのである。

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そこで「途方もない現実に阻まれて、それでも夢を選ぶのか」を迫るその構造に対して、今これを読んでいる人は、いとも簡単に「絶対自分は夢を選ぶさ!」と言ってのけてしまうかもしれない。
なぜならば、そのほうが格好良く思えるし、ファンタジックだからだ。
しかし、多少なりとも人生経験がある人なら気づくだろう。
そこで「それでも夢を信じ続ける」という選択が、いかに茨の道であるかを。
人間はそもそも、現実社会で生きる生物であり、夢の世界には、酸素もたんぱく質も何もないのだ。
つまり、人は夢の世界では生きられない生物であり、それをスタイルとファッションだけで選んでも、待ち受けているのは「後悔」、それだけしか残らないのである。

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ならば、なぜ市川ドラマの主人公達は夢を選ぶのか?
ドラマだから? 虚構だから? 少年漫画の主人公のような理想像だから?
そして、そういう人達は強いから? 精神が屈強だから?
全ての回答はNOである。
そこに登場する人々は、弱いから、心が脆弱で弱くて孤独で、とてもじゃないが、現実社会だけを相手に24時間を過ごすだけの心の体力がないから、自分を救ってくれて逃げ込める「夢」に逃げ込むのである。

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