市川氏は、幼い頃に両親を亡くした過去がある。
その時のことを氏は、このように述べた。
「母の見舞いに行くときは、必ず叔母に連れられて、三歳下の幼稚園児だった妹と一緒に、諫早から長崎にある病院まで、四十分くらい汽車に揺られて行きました。ある寒い冬の夜、見舞いの帰りの夜汽車の中には、ほとんど僕らだけしかいなくて、窓には霜がかかっていました。そこで、僕が妹に、物語をなんだかんだとしゃべり出す。当時僕は妹にしょっちゅう、千夜一夜みたいなエンドレスの話をして聞かせていたんですよ。
(中略)
その夜は、だんだん話だけじゃなくて、列車の窓に指で絵を描き出した。一つの窓を一コマにして、それが一面埋まると、今度は次の窓に行って描く。そうして、列車一両じゅうの窓に全部絵を描いて回ったんです。その光景を見て叔母さんは驚いたということを、後に僕に話してくれたんですが、今になって思うと、おそらく僕はそのとき、母親がもうすぐ死ぬということを予感してたんじゃないか。本当は、やっぱりすごく淋しい想いをしていて、そうした現実を受け入れたくなくて、自分の語る物語に異常なほどのめり込んで、違う世界に自分と妹を連れて行こうとしたんじゃないか、無意識に。それは別に理想郷でなくてもいい。とにかく違う世界に行きさえすれば、この現実以外の場所ならばどこでもいい。異次元の世界に魂を乗っけて行ってしまう列車を、自分の中に持っていたんじゃないかな」
皆さんは、氏のこのエピソードを読んで、幼少の頃の市川氏が「夢を信じる、強い心を持った少年」だったと果たして言い切れるだろうか?
そして、その幼少の頃の市川氏に、貴方は本気で憧れるだろうか?
筆者は、今は具体的には述べないが、実は思春期直前の頃に、市川氏のドラマによって命を救ってもらった思い出がある。
そこにあったのはいつだって、弱い者が弱いままに、だけど現実に対して生きていく中においては、せめて、せめて夢だけは持たせて欲しいという、悲痛で切実な願いと懇願であり、その夢は決して叶うものではなく、いつでも必ず現実によって打ち砕かれるが、人の、人間の魂はそもそも、それ無くしては生きていけないものなのだと、市川ドラマはひっそりと、か細く訴え続けるのである。
本作のラスト、セブン打ち上げのキャンプファイアーの中に、もう円谷を去ったはずの金城哲夫を含めた「セブンの仲間達」の姿を、ゆり子・アンヌは見つけ出す。
彼等は皆、童心のままにおどけて踊り、はしゃぎ笑っている。
しかし、その一人一人がゆっくりと、まるで最初から幻だったように消えていく。
「消えないで……さようなら……私の夢の仲間達……」
その後、シーンは祭りの後の夜明けに変わる。
誰もいなくなった祭りの跡地で、アンヌはセブンの人形を、キャンプファイアーの燃えカスの中からそっと取り出して「一緒に行く?」と呟いて、「現実」に向かって走り去っていく。
彼女はどこへ旅立って行ったのだろうか?
脚本では、その後エンドロールで、セブン放映後に巻き起こった、社会の様々な出来事を綴った報道映像が流れるという指定があった。
ウルトラは決して「良い子・偉い子・正しい子を作る教育用材」じゃない。
「大衆を啓蒙して社会政治変革を担う、芸術作品」なんかでもない。
ウルトラの送り手たちは決して、教育委員会でも政治団体でもなかった。
筆者が知る限りにおいての「ウルトラ」とは、子どもが自分の意思で観て、格好良いウルトラマンと強い怪獣の対決を楽しみ、そこでワクワクしたり憧れたりしながら、面白さに浸り、その中で、ほんのちょっと生まれた「よく分からないけど、今日のこの話はただ面白いだけじゃなかった。この感覚はなんだろう?」を、やがてウルトラを卒業していった先で、その人生の流れによっては大人になってから思い出したり、改めてウルトラを再び目にしたりした時などに、初めて自分だけの「作品との絆」を、発見したり納得したりして、また、自分の子どもへと受け継いでいく、そんな「娯楽」なのである。
そこではなにも、道徳や政治主義、教育的価値なんか必要ない。
弱い者が、弱いままに、その弱さを自分の手で抱きしめて、自分で自分を温めて、生きていったっていいのだと、ゆっくり語っている部分だってある。
あなたが今そこに、生きて存在していることは、果てしない絶望の現実を前にして、必死に頑張ってきた証拠である。
それは皆分かっていて、だから互いを大事にしあえるのだ。
あなたが生きているということは、あなたが今までの時間を、必死になって、歯を食いしばって、生き延びてきた何よりの証拠なのだ。
誰もそれを軽んじない。誰もそこで流れた時間を否定しない。
だからあなたが、今そこにいるということは、あなたの存在と、あなたが必死に掴もうとしているその夢が、決して意味が無い物ではないんだと、そのことを「かつて、『ウルトラセブン』に魅入られていた子ども達」皆さんに、いつか、いつか届けられたらと、願わずにはいられない。