代替テキスト

『トイレット博士』自身は、当初の少年ジャンププロデュース的には、少年マガジンなどで社会現象を起こしていた「赤塚不二夫式Anarchismギャグマンガ路線を継承する(もっと明確に言えば模倣する)漫画」であり、だから肝心の漫画家も、赤塚不二夫氏のアシスタントから選ばれたとりい氏であり、要するにこの時期、ジャンプは己のプラットホームに、藤子不二雄氏と赤塚不二夫氏を呼び込みたかったのだが、それが諸事情で望むべくもない事態であるので、代替に、新人漫画家をそれぞれ抜擢して、エピゴーネンとなる下地からスタートさせたというプロデュース戦略が、今にして思えば垣間見える(うん、この辺も個人の印象論です。根拠なし)。

しかし、『ど根性ガエル』が、当初の基礎設定を残したまま、奇天烈な設定に頼らずとも、正統派ガキ大将学園漫画として成長していったように、当初は徹底したスカトロジー漫画でしかなかった『トイレット博士』も(資料によると、少年ジャンプでデビューするに当たってとりい氏は、師匠の赤塚氏から「ギャグは今まで誰もやらなかったことをやってナンボだ。お前は顔が汚いから、徹底的に汚い漫画を描け。ウンコまみれの漫画を描け」と、教えを乞うたという逸話も散見される)、やがては路線も変更され、(当時少年ジャンプの編集者だった角南功氏を露骨にモデルにした)スナミ先生を筆頭に、少年主人公キャラ・一郎太や三日月、チン坊などの脇役が揃っていった中で、当初の主人公だった、タイトルに冠されたトイレット博士までもがどこへやら消えて行き、残ったメンバーが“メタクソ団”という謎のサークルを学園の中に作り上げ、そこで毎回展開される、様々な騒動や内輪もめ、ミッションやドタバタなどを描く路線に定着してからは、並み居る少年ジャンプ漫画の中でも、いつの間にかトップクラスに位置する一大人気漫画へと成長したのだ。

代替テキスト

初期のスカトロジー路線時代から毎回楽しく読んでいた筆者などは、メタクソ団路線への変更は、そこに一つの理想郷的な親密性を覚えたものである。
この時期までの、『ハリスの旋風』や、それこそ『ど根性ガエル』に至るまでのガキ大将漫画が、結局学校という管理教育の入れ物の中での、調和論や連帯性、体制隷属的集団幻想としてしか機能していなかったにも拘らず、『トイレット博士』は(途中からだが)事実上の主人公は、仮にも学校の教師である“スナミ先生”であるのに、彼らメタクソ団の活動拠点は、徹底的に“学校”という入れ物からパージされ隔離された先に在る、これも子ども好きのツボを突いた「地下に築かれた秘密基地的(実は何もなく、ただ立方体状に掘っただけなのだが、そこがまたそそられたのである)部室」の中だけで展開するか、そうでなければ山や海、学校の外へ飛び出しては、たいていは食べ物のことで揉め始め、仮にも教師と生徒が、対等(という言葉すら上品に聞こえるレベルの)醜い争いを始めてしまうのが、毎回のお約束になっていった。

しかし、今になって分析っぽく書評っぽく思考を巡らせてみれば、初期のメインテーマだった「排泄」と、中期以降数を増してきた「食べ物ネタ」は、共に「出す」か「入れる」かの違いしかない、純粋な生理行為という意味では「幼児レベルでも共有できる感覚」を基礎にしており、そういった意味では本作はそのメインコンセプトは一貫していたのではないかと思われる。

70年代の少年ジャンプを支え、100万部の大台に乗せた立役者でもある『トイレット博士』が、ほぼ漫画史の中では埋もれた「知る人ぞ知る」作品扱いを受けることは、これは現代において出版界が抱える、復刻版に関する倫理観の問題や、当時の大ヒット漫画の中では唯一といってよいレベルで、アニメや映画などのメディアミックスが一切おこなわれなかったこと(アニメ化の企画自体はあったようだ)、また、作者のとりい氏がこの作品の完結以降、これといったヒット作品を生み出せなかったことなどが重なりあって、「当時の熱気や時代の空気」と共に、そこに置き去りにされている感は否めない。

代替テキスト

たとえば「70年代ジャンプで、いわゆる“一発屋”で終わってしまった作家」で言えば、それこそ『ど根性ガエル』の吉沢氏や、『侍ジャイアンツ』漫画担当の井上コオ氏がいるが、それらの作品はアニメ化され、テレビで人気を博したため、ジャンプ史を語る上では外せない存在になっている。同時期「漫画はヒットしたが、アニメ化はされなかった作品」でざっくり上げてしまえば、『アストロ球団』『包丁人味平』などがあるが、こちらは作者の中島徳博氏やビッグ錠氏などが、その後も漫画家として活動を続けたために、語り継がれることになったという側面もある。

70年代までの少年ジャンプは、既存の漫画界から外様扱いされたところからスタートしたからか、自誌内での漫画家同士の連帯や団結心も強く、80年代にまたがる頃のジャンプでは、常に誰かしらの「元・本宮ひろ志氏のアシスタント出身漫画家」が活躍していたことでも有名ではあるし(本宮氏自身がジャンプ生え抜きの第一号人気漫画家であったことも関わっている)、そういう意味では、後に『リングにかけろ!』『聖闘士星矢』でジャンプを代表する漫画家になった車田正美氏も、『侍ジャイアンツ』の井上コオ氏と、本宮氏の両方でアシスタントをした経験があったし、後に『月とスッポン』『翔んだカップルで、ラブコメ漫画の王者となる柳沢きみお氏も、実はとりい氏のアシスタント出身であり、独り立ちデビュー漫画(もちろんジャンプ連載)『女だらけ』は、師匠のとりい氏の『トイレット博士』と、コラボ特別回があったりもしたものである。

それと同時に、『トイレット博士』という漫画が、ジャンプに遺した軌跡として大きいのは、80年代以降のジャンプ漫画を支え、近年の『銀魂』等では、むしろギャグ扱いを受けている、少年ジャンプ黄金期の漫画勢共通のテーマである「友情・努力・勝利」を最初に謳ったのが、この『トイレット博士』であり、80年代の『キン肉マン』や『リングにかけろ!』等のヒットが築かれる基盤を築いたのだともいえることであろう。
しかし、ではなぜ、排泄行為とスカトロジーで始まった、Anarchismなお下劣ギャグ漫画が、「友情・努力・勝利」を謳うようになったのか。実は(発行当時は金字塔と思われていた)あの時代ではありえなかったレベルの、単行本30巻長期連載を俯瞰していくと、そこでは決して綺麗事ではない「そもそも友情とは何か」が、徹底したギャグの形で、問いかけ、提示されてくるのである。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事