代替テキスト

筆者が個人的にこの漫画を思い出す時「あぁ、ウナギのかば焼きとか焼きそばとかを今でも好きなのは、この漫画の影響なのだなぁ」と思いつつ、しかしそうした食欲や生理活動への傾倒と同じか、それ以上に、とりい氏が毎年、決して短編読み切りの形をとらず、あくまで『トイレット博士』の中の1エピソードとして、8月の終戦記念日の前後に一話ずつ、反戦・終戦漫画を手掛けていたことも印象深い。

とりい氏自身は1946年と戦後の生まれであり、いわゆるアプレゲール(après-guerre)派の中に入るのだが、そこで描かれた、スナミ先生やゲスト人物達がトラウマのように抱える戦争体験は、決して架空の絵空事にはとても思えず、同時期に少年ジャンプで反戦漫画として現代にも残るモニュマンとなった、中沢啓治氏の『はだしのゲン』と並んで、筆者の幼少期に「戦争はなにがあっても、再び起こしてはならない。この悲劇を繰り返してはならない」と、刻み込んでいただいた恩恵があったりするのも、この漫画の特徴であっただろう。

スカトロジー、Anarchism、人情、友情・努力・団結・勝利、イジメ、そして反戦。
『トイレット博士』が築いた、当時の漫画界の中で前人未到で、最初で最後と思われていた「連載期間7年。単行本巻数30巻」は、その後の漫画界のコンテンツビジネスの流れの中ではありきたりな数字に埋もれてしまったが、70年安保敗退の時代に、排泄物をまき散らしながらAnarchyに現れ、やがて人の、集団の中における残虐さ(その背景には、これも70年安保の残骸たる、連合赤軍の内ゲバ時代を投影していたのかもしれない)を、かくも冷静に描きつつ、ジャンプ誌面のギャグマンガ群が、江口寿史氏の『すすめ!!パイレーツ』や、コンタロウ氏の『1・2のアッホ』等の、パロディサブカルチャー時代が到来するまでを、看板漫画として支え切っていた事実だけは、これは決して、どんな歴史修正主義でも掻き消すことが出来ない事実であるのだ。

本作後のとりい氏は、少年ジャンプの青年誌版として創刊された『ヤングジャンプ』創刊と同時に『三丁目のスナミちゃん』で本作のスピンオフを描くがヒットとは至らず、その後は(あしざまな物言いだが)鳴かず飛ばずの作家人生が続き、それでもかつて蓄えたプロ根性が、自らの絵柄までをも変えさせて、バブル期には露骨に(『100億の男』でビジネスサクセス漫画ベストセラー作家にのし上がっていた)国友やすゆき氏の絵柄を模倣して、『トップはオレだ!!日本一のセールス男』などを描くも、デビュー作以上のヒット作には恵まれず、現代に至っている。

しかし、『トイレット博士』は、とりいかずよし氏は、様々な意味で70年代という時代と同期しながら、週刊少年ジャンプという雑誌を、一大ブランドに押し上げて消え去っていった、功労者であることは間違いないだろう。

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