樋口雄一氏。
1970年代からデザインメイトに所属、玩具デザインや玩具パッケージデザイン等を経て、サブマリンに移り、その流れの中で『伝説巨神イデオン』(1980年)『魔境伝説アクロバンチ』(1982年)『絶対無敵ライジンオー』(1991年)等のメカデザインを手掛け、文字通り伝説になったクリエイターである。
近年は2016年に『樋口雄一「ロボット絵画展」』が開催され、筆者がこの度お会いした時も、新宿東急ハンズで『ゆけ!! 俺のロボ展』というイベントに謹製画が展示されていたタイミングであった。
今回は、『シン・機動戦士ガンダム論』連載の中で扱う『伝説巨神イデオン(1980年 以下『イデオン』)』について、樋口氏に直接お会いして、長年の疑問の数々をお尋ねする機会を頂いた。
樋口氏の『イデオン』に関するインタビューは、中島紳介氏による名著『イデオンという伝説』(太田出版)でも既に行われているので、筆者による今回のインタビューは、なるべくその著とは被らない角度を目指して行われた。
40年前のことは、100%として語れない
――今回は、「『イデオンと樋口雄一』や『富野由悠季と樋口雄一』」といったテーマでいろいろお伺いします。最初に、『イデオン』企画経緯で、私が伝え聞いている限りをお話しますので、ご確認やご訂正をよろしくお願いします。まず1976年の段階で、円谷プロ、創映社(現・サンライズ)、トミーが組んだ『恐竜探検隊ボーンフリー』という番組と玩具が大ヒットして、その流れで継続作品として、樋口さんがメカデザインを担当された『科学探検隊タンサー5』(以下『タンサー5』)という作品が1979年に制作放映されました。その中で「ミラクルチェンジ」という変形要素が玩具的にヒットして、そこに合体ロボットの要素を取り入れたのが『イデオン』なのですよね。
樋口 そうですね。ほぼそんな感じだと思います。山浦(栄二 当時の創映社社長)さんから、陸・海・空の乗り物のメカのデザインを頼まれたのが『タンサー5』ですね。だから『タンサー5』というのは、僕の中では名前は後から出てくるんですよ。まず(TVコンテンツとしての)企画があったわけじゃなくて、先にデザインを描いて、その後シナリオが上がってきたんです。「ミラクルチェンジ」も、最初からその設定があったわけじゃなくて、玩具を作っていくうちに「あ、これ、ワンタッチで(変形が)できそうだね」ってことになって、トミーの方と一緒に作っていった物なんです。それが、今おっしゃったように、その年結構売れたんですよ。だけど、物足りない人達が何人かいて(笑)、要するに、それをロボットでやったらもっといけるんじゃないかということになりました。それで山浦さんに「樋口さん、アレ(ミラクルチェンジメカ)、ロボットに出来ないかな」と言われまして、それでイデオンの企画になりました。