かつて、この『光の国から愛をこめて』が、ブログとして運営されていた頃、本話と前後してUPされたのが、『ウルトラマン』(1966年)『ミイラの叫び』だった。

今回紹介するこの『魔の山へ飛べ』に関して言えば、その『ミイラの叫び』と同じ、「巨大な存在と矮小な個の結びつき」というテーマの一本である。

ここで特筆すべきは、『ミイラの叫び』と『魔の山へ飛べ』は、そこで関係を築いている「矮小な個」の側が、我々の社会に属している人間ではないという共通点である。

『湖のひみつ』の評論でも述べたが、『ウルトラQ』(1966年)『ガラモンの逆襲』金城哲夫氏が生み出した、「侵略してきた宇宙人と、その宇宙人が操るモンスター」という図式は、続く『ウルトラマン』最終回の『さらばウルトラマン』における、ゼットン星人とゼットンという形で継承されて、以降のウルトラシリーズにおいてスタンダードなキャラ配置になっていく。

戦争物としての図式が裾野にあった『ウルトラセブン』(1967年)では、やがてその関係性は「謀略担当工作員と、破壊担当用心棒」という図式を経て、最終的には「指揮官と無人巨大殺戮兵器」という、殺伐とした関係へと発展していくのであるが、これを、金城哲夫氏は嫌っていた傾向が見て取れるのである。

金城氏がセブンにおいて「宇宙人と宇宙怪獣」のコンビを扱ったのは、初期1クールのこの時点ではまだ『湖のひみつ』だけであった。

そこでは、可愛い少女の容姿とメンタリズムを与えられたピット星人にとって、エレキングはまるでペットのような位置づけで描写されていた。

我々男性から見たときには、「少女とペット」という関係性は、中々に、その内側には入り込めないものを感じさせてくれる。

ピット星人とエレキングという関係性は、こちらが入り込めない、入り込んではいけないような(それはたぶんに男性の身勝手な幻想からくるものだが)、男子禁制の世界のようなニュアンスを醸し出しているのだ。

一方、本話におけるワイルド星人とナースの関係は、もっと他者の介入を許しがたい雰囲気に満ちている。

ナースはその外見は(地球上の偏見で判断するなら)機械であり、機械は道具でしかなく、無機質な物である筈なのに、その冷たい機械に向けてワイルド星人は、愛しい者を呼ぶように、愛する家族を呼ぶように、自分の胸中を知っていてくれている者に、末期の自分の全てを託すかのように、その名を呼んで死んでいくのである。

この「孤独な存在が死の間際になって、自分とは異質なはずの存在の、巨大な生き物の名前を叫んで朽ち果てていく」という描写は、それこそ『謎の恐竜基地』の二階堂教授がジラースの名を叫んで死んでいったシーンと同じなのであるが、その叫びは『謎の恐竜基地』でも本話でも叫べば叫ぶほど、その声が大きく響き周囲に聞こえ渡れば渡るほど、閉じた関係性の強固さを強く印象付けるだけで、その絆がどういうものであったかを描くことはないままドラマは幕を閉じるのである。

金城氏は、個人と結びつく巨大な怪獣が侵略兵器になることを、常に恐れていたのではないかと思われる。

ガラモンとセミ人間を描いた『ウルトラQ』や、ゼットン星人と、彼が連れてきたゼットンを描いた『ウルトラマン』は、そもそもが「異星人は地球人とは異質な概念を持っている」が前提の世界観であり、だから「異星人は地球人と異なるメンタリティを持っているから、そこで人間からは侵略兵器にしか見えない怪獣を率いてきたとしても、ひょっとすると我々には理解し得ない、深い関係性が有るかもしれない」というロジックが成り立っていたのだ。

しかし、明確に地球人的価値概念をもっていて、地球人とコミュニケート可能な、セブンの宇宙人を描くに当たっては、安易に宇宙人と宇宙怪獣のコンビを描いてしまえば、それは容易に、大鑑巨砲主義的な軍事色を漂わせてしまうことへの、金城氏なりの危機感があったからではないかと、筆者は推測している。

前作『ウルトラマン』よりも、よりメンタリズムが人間に近い形で異星人が描かれるセブンだからこそ、そこで登場する宇宙人と宇宙怪獣の関係性の描写に、前作での「人間と怪獣の関係性」を当てはめたのではないだろうか?

しかし、そんな前作『ウルトラマン』においても、人間と同じメンタリティを持つ侵略者と共に現れる怪獣が、ただの侵略巨大兵器としてのみ描写された作品があった。

ここでもその名前が出てくるのか、といった感じだが、それはやはり、佐々木守・実相寺昭雄コンビによる『地上破壊工作』である。

ここで登場する地底人は、宇宙人ではないものの、人間と意思の疎通が可能であり、かつその思考ルーティンが(メフィラス星人やザラブ星人のような)既知の外側的な広がりを持たない。

極めて、人間的が持つ常識の範囲内の主義主張と価値観を持っており、そういう意味ではセブンにおける宇宙人に近い描写のされ方である。

(余談だが『ウルトラマン』では地球内からの侵略もいくつか描かれた。地底人ともう一種が『来たのは誰だ』の植物人間種・ケロニヤであるが、知能を持った植物が異常進化したという設定のケロニヤもまた、地底人と同じく人間的な思考・価値観を持った存在として描かれている)

地底人達は、地上破壊の尖兵として怪獣テレスドンを送り込むのだが、そこではテレスドンは徹底した侵略兵器としてのみ描かれており、地底人との結びつき方の形や、それを示唆する描写は一切なかった。

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