前回「『シン・機動戦士ガンダム論!』第5回『機動戦士ガンダム』オンエア開始(前)」
話が飛んでしまったようだが、1979年4月に始まった『機動戦士ガンダム』(1979年 以下『ガンダム』)は、リアルタイムテレビコンテンツとしては数字的に苦戦を強いられながら、1980年1月26日、第43話『脱出』を放映することでシリーズが終わった。
第1話『ガンダム、大地に立つ』の視聴率は3.0%。
最高視聴率は第29話『ジャブローに散る!』の9.9%、最低視聴率は第7話『コアファイター脱出せよ』の1.9%、全43話の平均視聴率は5.3%(いずれも東京・テレビ朝日計測)という記録は、地方キー局制作番組、夕方5時台の放映時間というハンデを配慮しても、お世辞にも高かったとは言えない。
また、初動からしばらくのスポンサードへの影響としては、前回も記したように、『ガンダム』は、ヤマトブームに便乗して、視聴者対象年齢層を上げてみようという提案が社の上層部からあったにも関わらず、企画プレゼンの段階では代理店やスポンサー企業向けにおいては、これまでと同じく幼児層へ向けたアピールに終始してしまったため、玩具会社クローバーをはじめとして、スポンサー各社も、絵入りのサンダルや塗り絵、お面、枕など、幼児対象の商品の開発に終始してしまい、いざ放映が始まってみた時には、コンテンツが向き合おうとしている対象と、提供会社の関連商品の対象がズレてしまう状況を生んでしまい、視聴率の不振とも相まって、『ガンダム』は苦境に立たされた。
特に、メインスポンサーである玩具会社クローバーの打撃は、重要だったと伝えられている。
これはあくまで都市伝説の域を出ない与太話ではあるが、一説によるとクローバーの社長は、昔気質の玩具人であり、当時流行していたロボット合金玩具にも、あえて「鎧武者」の意匠を取り入れさせることで、日本玩具に古くからある、五月人形の代替的なイメージを被らせていたとも聞く。