始まったガンダムブーム

『機動戦士ガンダム(以下『ガンダム』)』放映の1979年。
一方では、既にこの時期、ヤマトブームから同時多発発生していたアニメファンがサイレントマジョリティとして存在しており、筆者も今回当時ムックを引用させていただいている、出版社ラポート株式会社のアニメ専門雑誌『アニメック徳間書店『アニメージュ』みのり書房『OUT』などが、いち早く『ガンダム』の先進性に気づき、リアルタイムでガンダム特集や富野由悠季監督インタビューを掲載する動きを見せていた。

そのため、全43話への短縮が決まったタイミングでは、ファンたちが延長嘆願書をテレビ局などに送ったが、結果的に大人社会、市場社会には無視されることになった(ここへの悔しさが、後の「アニメ新世紀宣言」イベント動員に繋がったのであろう)。

やがて『ガンダム』制作元の日本サンライズは、1979年12月から1980年10月にかけて、設定画や物語詳細、スタッフ紹介の全てを網羅した公式本『機動戦士ガンダム 記録全集』を、全5巻、そして別巻の『機動戦士ガンダム 台本全記録』を出版する(編集長は、『アニメック』の小牧雅伸氏で、ニューアート・クリエイション名義)。アンテナの鋭いアニメファン、ティーンズの間では、既にガンダムは最先端の話題の中心に位置し始めていた。

テレビシリーズ放映終了直後の『月刊アニメージュ』1980年3月号のインタビューで、富野由悠季監督は、早くも『ガンダム』映画化の構想を語っている。

――まず『ガンダム』を映画化すると、何時間でまとまりますか?

富野 そうですね、だいたい3時間くらい……

――3時間でまとまるんですか?

富野 パート1は3時間です

――パート1?

富野 ええ。ぼくは『ガンダム』を4部構成でやりたいんです。第1部が3時間で、2、3、4部がそれぞれ2時間30分ずつ。つまり全部で10時間30分です

――じゅっ、10時間30分!?

富野 ま、結局は夢物語にすぎないかもしれないけれど、『ガンダム』はそれだけの量を持っていると思いますので

――「人間の条件」なみですね

富野 それだけの時間を使っても、合体シーンとか敵側メカが登場する部分を抜いていかなければなりません。また、番外編的なストーリーもはぶいて、それで一応は理想的な形になるでしょう

――しかし、10時間30分……

富野 ぼくは、単なる総集編映画は作りたくないんです。全話から目立つシーンだけ抜き出して、キリバリで2時間、3時間には“なりえない”ということなんです

ラポート『富野語録』富野由悠季インタビュー

確かにこの時期、全26話のテレビシリーズアニメ作品を、単なるキリバリでダイジェスト化しただけの映画『宇宙戦艦ヤマト』(1977年)が大ヒットを飛ばし、柳の下のドジョウとばかりに、そのブームに便乗しようとしたアニメが、テレビ放映作品をダイジェスト編集するだけで映画をでっち上げるという悪習が、『科学忍者隊ガッチャマン』(1978年)『アルプスの少女ハイジ』(1979)『未来少年コナン』(1979)等であり、それは『ウルトラマン』(1966年)のような実写特撮作品でも『実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン』(1979年)『ウルトラマン 怪獣大決戦』(1979年)という形でスクリーンに躍り出て、お手軽ビジネスとして跋扈していたという事実があった。

実際、“人気アニメ映画の続編作品”はいくつか作られたが、それはあくまで、1作単位の完結した物語を、改めて新作を作るというルーティンであり、元々のテレビシリーズの再編集映画を、何部作かに分けて制作上映するという前例はなかった(『未来少年コナン』が、公開した映画版にファンの不満の声が募りすぎて、数年後に続編扱いで新作を制作するというような形はあった)。

なので、この富野談話のインタビュー側も、4部作構成という構想に眉唾レベルの驚きを隠せないのは当時の常識であって、しかし、実際の映画版『ガンダム』が、4部作、10時間構想には至らなかったものの、劇場版『機動戦士ガンダム』137分『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』134分『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』141分の、3部作計412分は7時間に迫る尺であり、結果、この時点での富野構想の、2/3近くが実現化したということになる。

シャア「もし、あの時の少女が十年前に別れた妹の……いや……アルテイシアにしては……強すぎる」
セイラ「お捨てなさい。動くと撃ちます」
シャア「そう……アルテイシアはもっとやさしい……」
ワッケイン「ジオンとの戦いが、まだまだ困難を極めるという時、われわれは素人まで動員していく……。寒い時代だと思わんか……?」

この富野インタビューが掲載された1980年2月には、一方で月刊『OUT』で、今や伝説にもなった、『ガンダム』のヒロイン、セイラ・マスの全裸イラスト『悩ましのアルテイシア』が掲載されたり(富野監督もある意味楽しんでいたのか、激怒するコメントや、からかったり、真面目に皮肉るコメントを遺している)、模型雑誌『月刊ホビージャパン』で、まだ模型化が発表されていない段階で、ザクのフルスクラッチ(元になるプラモデルが存在せず、全部ゼロからモデラーが作る作品のこと)が発表されて話題を呼んだりしていた。

翌3月には、キングレコードより『ガンダム』関連3枚目のLPレコードとなる『アムロよ…』が発売。このレコードは、いわゆる「ドラマ音声編集版」だが、まだビデオソフトという概念がなかった時代でもあるので、ファンには貴重なソフト型資料となった。

4月には、早川書房『月刊SFマガジン』で、SF作家の鏡明氏が、富野由悠季氏が朝日ソノラマで書いた小説版『機動戦士ガンダム』に対して論評で言及(この小説版に関しては、この連載の中期で大きく取り扱う予定)。同月には講談社『週刊少年マガジンヤング別冊』でガンダム特集が組まれ、6月にはナウなヤングのファッション雑誌(笑)『POPEYE』でガンダム特集が掲載されるなど、確実にこの時点で『ガンダム』は、アニメファン限定のメディアを飛び越して、ジャンルを超えて認識され、扱われる題材へと成長を遂げていた。

次回「『シン・機動戦士ガンダム論!』第8回『テレビから映画版へと「翔んで」』(後)」
映画化へ向かい続けるガンダム。『ガンダム』の映画化を求めたティーンズ達の「遺したもの」を追いかける!
君は、生き延びることができるか。

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