例えば、これを読んでいるあなたが、尋ねられた時に想起する「好きな色」「綺麗だと思う景色」「美味しいと思う食べ物」「幸せの定義」全て、あなた一人が何の影響も受けずに、手に入れた感覚だと言い切れるだろうか?
あなたが「大自然の美しい景色」と言われて思い浮かべる光景には、あなたが生まれてから今までに見た、雑誌の写真やテレビの光景が、全く関わっていないなどと、どうして断言できるだろうか?
あなたが「最も好きだと感じるカレーライスの辛さは?」という問いに対して答えた味に、母親が作ったカレーの味が、全く関与していないだどと、果たして言い切れるだろうか?
人が生まれながらに保有している「個」は、実は本当にちっぽけな種のような物でしかなく、そこから自我を得て、自分という「個」をしっかりと形成していく過程で構築される、価値観や人格、人間性といった物は、そのほとんどが実は、「ほんのちっぽけな、生まれながらの核」を膨大に包む、「生まれてから今までに触れた、莫大な物量の環境からの影響」によって成り立っているのではないかと思うのだ。
特に、直接コミュニケーションが成立しないテレビや雑誌、ゲームなどのメディアと、閉じきった部屋の中だけで向かい合って受けた影響は、一方的な主従関係で、人間に影響を与えるものなのだと、筆者は感じるのである。
では、人に影響を与える環境とは、どこからどこまでを指すのか?
国家だろうか? それももちろんあるだろう。
生まれた県や町、隣近所も環境だ。触れるメディアも全てが環境だろう。
しかし、今あなたのそばにいる家族や友人、愛する人や大事な人こそが、実はあなたにとって一番大きな環境であり、そしてあなた自身がその人にとっての環境でもある。
そして、環境が人を形成していくときに、大きな影響を与えるのだとしたら、影響を受けて形成された、結果としての人格や価値観を見ることで、逆にその人を育んできた環境を、推察することも可能なはずである。
作家論を語るときに、作家達が作り上げた作品だけではなく、時として、その作家が作品を生むまでに歩んだ人生の道程や過去を、解き明かさなければいけない原因は、実はそこにあるのである。
金城・佐々木・上原の三氏に共通して言えることは、はたして彼らを育んだ環境そのものが、三氏それぞれの作劇へと、多大な影響を与えたということでもあり、またそれらの互いの関係の意味性は、否定のための否定にあるのではなく(そこに純粋な対抗心や主義主張の違いがあったにせよ)、彼らが生まれてきてから、そこで、円谷の文芸室のデスクの前に座るまでの間に辿った道のりと、その道程の、見えた景色の果てに受けた影響で築かれた、人格や人間性、価値観や魂を賭けた、真なる戦いであったのだとも言えよう。
では、本話『恐怖のルート87』の場合、それはどのように現れ、どのように、金城氏の辿ってきた環境を照らし出しているのだろうか?
本話は『ウルトラマン』(1966年)においては、『まぼろしの雪山』と共に、「明るく社交的なメインライターが、他の作家や監督の変化球を許容しながら、ストレートな直球作品だけを送り出していた」と解釈されていた金城氏が、決してそういった側面だけで作品を書いていなかったことを知るには、とても解りやすく、また的確なテキストであるともいえる作品である。
今回は、そんな金城哲夫プロファイルを、本話を参考にしながら順を追って考えていきたい。
この時期の金城氏の「閉じた関係性の構築」は、既存の評論にあるように、その片鱗は金城氏のデビュー作『東芝日曜劇場』(1956年~2002年)『こんなに愛して』(1964年)に見ることは難しくなく、それが、金城氏がメインライターを張ることになったウルトラシリーズで、どのような経緯を経て固まっていったかは、筆者はこれまでの評論でも書いてきた。
『こんなに愛して』が、デビュー作にも関わらず後のウルトラ作品よりも、テーマ性と作家性が濃密である理由は、少し考えてみればすぐに理解できる。
上でも書いた「豪放磊落で直球作品を書き送る金城哲夫」は、あくまでも、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』(1967年)企画文芸統率者としての一面であって、『こんなに愛して』では単なる一作家でしかなかった金城氏は、その時の単発作品でなら、自身の作家性を、思う存分自らが書くドラマに込められただろうが、貧乏バラックプロダクションとはいえ、一つのプロダクションの大事なシリーズを、その責任を任されて統括する立場になれば、通常の社会常識を持っていればなおさら、自身の作家性よりもパブリックな部分での作劇に徹しようとするだろうし、他作家との打ち合わせや、各作家が書いてくる作品世界観のすり合わせ、ウルトラ独自の作劇指導などなどが、仕事のメインになればこそ、社交的にならなければ、社命一つをこなせないという、プレッシャーもそこにはあったのだろう。
事実、この時期、金城氏が背負うしかなかった「新人若手ライターにして、TBS映画部や円谷プロの命運を賭けたコンテンツを率いる立場」というのは、文字で書いてみれば、なるほどちょっと『サラリーマン金太郎』っぽくて格好良いかもしれないが、実際にそれをやらされる、やらなければいけないというのは、実は内外で相当のストレスを発生させる。
もちろん、金城氏は誰もが認める天才であったし、実力もあった。
しかしそれは、あくまで円谷プロという枠の中でこそ通じる常識でしかなく、才能やセンスが年功序列を凌駕すると思うのは、テレビの世界では素人の浅はかさ。
実はテレビや映画、広告などという、センスや才能が成功の鍵を握る業界ほど、実際の現場レベルでは、そこいらのスポーツ団体以上の体育会系の世界であり、現実には、20代そこそこの若造が「僕今度TBSが社運を賭けて挑む番組の、文芸メイン責任者なんです」と、浮かれた顔を引っさげて闊歩したところで、おいそれと周囲がひれ伏してくれるような世界ではないのである。