「ガンプラという現象」
『機動戦士ガンダム(以下『ガンダム』)』(1979年)が巻き起こしたブームは、決して純粋な作品評価と称賛だけが燃料ではなかった。
関連商品。それも『ガンダム』放映終了後に展開が始まったプラモデル、通称「ガン(ダムの)プラ(モデル)」が、爆発的な売れ行きを見せ、むしろガンプラが作品を離れて、単独で社会現象を起こしたことも、ガンダムブームの偽らざる一面であることは疑いようがない。
この連載では既に、放映当時のメインスポンサーの玩具会社クローバーが、初動ではガンダムの合金玩具の不振に見舞われ、『ガンダム』が話数削減の打ち切りに至ったが、強化案として登場したGアーマーとの「機動戦士ガンダム DX合体セット」が、1979年のクリスマス商戦で大ヒットを飛ばしたという事実には触れていたはずで、そういった意味で「ガンダムという立体物」への需要は、放映中から潜在的には存在していたことが今では明確になっている。
1980年当時ガンプラは、テレビ漫画のロボットのプラモデルとしては、まだまだ珍しい部類に入っていた「モーターやゼンマイでの歩行アクションを前提としないディスプレイ仕様」でありつつ、しかも「放映が終了したアニメのメカ」が、ミリオンセラー商品になるということ(1/144 ガンダムは、発売後10年間で600万個を販売、次いで人気の1/144 シャア専用ザクも、こちらも発売後10年間で300万個の売り上げを誇った)は、日本のホビーにおけるプラモデルの位置づけや技術改革を塗り替える主導権を握り、発売展開後40年以上を経過してなお、現在も新作が発売される一大ジャンルに成長している。