グフは果たして、失敗作メカだったのか?

ザクでは左肩だけだったスパイクアーマーが両肩に着き、サイクロプスを思わせていた単眼の目つきも鋭くスリットが切れ込んでいる。
シャア専用ザクと同じ指揮官を象徴する角は、グフという機体がそれだけで、シャア専用ザクと同等の強敵であるという記号論として作用しており、ザクではライフルやバズーカ、ヒートホークなどを持ち替える汎用性で機能していた両手は、右手は、伸縮もコントロールも自在の電磁鞭(『キカイダー01』(1973年)のブルーハカイダーを思い出させてくれる)を振り回し、左手は5本の指が全てミサイル機銃になっている特殊仕様(こちらは、『サイボーグ009』の、004の武装を思い出させてくれる)だ。
あくまで兵器として考えると、あまりにも局地戦向きであるし、パイロットを選びすぎるし、ザクを強化したのだとしても、宇宙では使えない武装ばかりで、試験型として以外の視点から見るとあきらかな失敗作なのだが、スーパーロボットまんがの敵メカのインフレとしては、正しい新型の進化論ではあった。

1979年発売の『アニメック』7号インタビューで富野由悠季監督は「グフは兵器としては失敗作だったのでは?」という質問に対してこう答えている。

富野 ええ、そういう意味(引用者註・宇宙空間で運用できない)で失敗です。つまり、あまりにも局地戦用に考えすぎたんですね。

ラポート『富野語録』富野由悠季インタビュー

つまり、玩具的変形であっても合体であっても、それを馬鹿正直に、登場人物達が当初から充分自在に操り、戦局で運用できる図というのが不自然すぎるわけで、それでもかような演出を挿入したければ、登場人物達がその合体、変形機能に慣れていき、なおかつ、“その機能”を、使わざるを得ないシチュエーションを与えていく、富野監督はその手順を省かなかっただけである(これは人の生理として当然の問題で、思えば70年代から既に、子ども達の間では「『仮面ライダー』で本郷猛が変身ポーズを取っている間、なんでショッカーは黙ってみているんだろう」というネタ的ツッコミも当然のように存在していた)。

その上で、同じインタビューで、富野監督はこうも答えている。

富野 (前略)ガンダムは戦争ものであると同時にアクションものを描いていくっていう気分はやはり大事だと思っています。

ラポート『富野語録』富野由悠季インタビュー

その辺りの目論見や心配は、局やスポンサーサイドにもあったようで、『ガンダム』は、子どもたちの“ごっこ”(ウルトラマンごっこや、仮面ライダーごっこの流れ)において、チャンバラを流行らせたかった意図があるという資料もあり、実際、それまでの対ザク、対シャア専用ザクでは、ライフルの撃ち合いなどがメインのバトルシーンであったが、ここで登場する「青い強敵」グフとガンダムの対決は、徐々に剣豪同士のチャンバラを彷彿させる演出が目立っていくことになる。

「道具は使う人次第」はやはり正論で、この時点ではガンダムの破壊力最強を誇るバズーカも、グフの電磁鞭の前では瞬時に破壊されてしまい、逆に雑魚メカに成り下がりかけていたザクは、脚に装着するミサイルポッドや、手榴弾にあたるクラッカー、やがてはマゼラアタックの砲塔だけを外して両手で撃つマゼラトップ砲等、いかにも兵器として汎用性を高めていくビジュアルと、交錯してジオンの戦力が描かれることになる。

ジオンの地上用母艦ともいうべきギャロップとカーゴの存在がメカ的に、そしてランバ・ラルが実は悪の組織的には閑職で、充分な補給を回してもらえない立場にあることなどが、よりいっそう「ジオンはまだまだガンダムやホワイトベース相手に、本気を出していないだけ」感を増幅させて世界観の広がりを感じさせてくれる。

アムロ「うわ~……。グ、グフ奴、パワーが次々と上がっていく感じだ。や、やれるか」
アムロ「いけーっ!」
アムロ「だ、だめだ。……足の回路がずたずただ! 早くマチルダさんの処へ……あ?」

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