ファントム・オブ・パラダイス

大賀 2本立てだとね(笑)

留 もう一回、『ロッキー・ホラー』の大騒ぎを通過しないと、もう一回(『ファントム』が)観られないという(笑) で、結局その日は(合計)4本観て帰りました(笑) 翌日からは(『ファントム』が)名画座にかかれば追いかけてって感じ。そのころ、私が思ったのは、映画の仕事をしようとか、そういうことは全然考えてなかったんだけど、むしろ「どれだけこの映画を好きか」という想いを、なんとかこの映画を作った人たちに伝えたい、と。いつかその日がくるまで。

大賀 「それ」を作った人たちに!

三留 そう!

大賀 Brian De Palma監督たちに!

三留 うん! で、それが一番最初にかなったのがEdward R. Pressman(製作)。プロデューサーとしてはその後も新人発掘の天才って言われた人なんだけど。その時は映画の取材でロスアンゼルスへ行って、パーティーがあったんだけど、そこにEdward R. Pressmanがいたんです。それで「Are you Mr. Pressman?」って聞いて、「私はあなたの大ファンです」って言ったの。それで、まずは一個伝えられた!

大賀 一人目クリアで!

三留 で、二人目! Brian De Palma(監督)!

大賀 いきなり二人目でBrian De Palma!

三留 これは手塚まこ(眞)ちゃんと、町山(智浩)くんと、キャメラマンの石川くんと三人で行って。みんな子どもみたいになっちゃって(笑) 私たちが会いに行く直前まで、すごく性質の悪いインタビュー受けてたらしくて、もう「Yes」と「No」しか言わなくなってたBrian De Palmaのところに、ニッコニコした三人が「Hay!」って行ったら、もう(Brian De Palma監督が)目を丸くして「Are you student?」って。つまり「子ども新聞が来たのか?」って感じで

(註・手塚眞手塚治虫氏の長男にしてヴィジュアリスト 町山智浩=現代では日本を代表する映画評論家)

大賀 町山さんも、当時はそんな感じだったんですね。

三留 それでBrian De Palma監督もテンション上がって、気持ちを緩めてくれて。もう、どれだけ(自分たちが)その映画が好きかってことがね、出てるんだよね。だからその時間は、インタビューっていうか「濃厚な映画の授業」だった。これが二人目ね。で三人目、これがPaul Williams(音楽 スワン役出演)! 彼に会えたのは、90年代の半ば……かなぁ? 彼(Paul Williams)がパイオニアから一枚、日本で新譜を出して、来日した時です。彼はずっと歌ってはきたんだけど、人生かなり起伏が激しかったのね。それで、昔も映画祭か何かで一度日本へも来てた(『ファントム』以前)んだけど、その当時のことは、ドラッグとお酒で何も覚えていないんだって。よれよれで。で、ずーっとそんな状態で、一応音楽の仕事や映画の仕事もしていたけれども、もうそういうのがMAXになっちゃって、全然詩も書けなくなっちゃった、歌えなくなっちゃったんだって。そこからきちんと薬物依存と向き合おうってリハビリをした先で、今度は自分が立ち上がろうと思ったと。自分と同じような薬物依存がハリウッドには多いから、そういう人達を助けるソーシャルワーカーになろうと。それで、専門の学校に通って資格を取って、今に至る、と。で、歌うのも再開したしっていうね。そういう話をしてくれたのね。それで、もう(お酒を)一滴でも飲めないんだって。だから「僕はもう、一生お酒は飲めないんだよ」って言ってた。

大賀 アルコホリックって、肝臓と脳をやられちゃうと、断酒と療法で正常な生活は出来るようになるんだけど、その後何年正常を保ったまま時間を過ぎても、あるとき一滴でも酒を飲んでしまえば、いきなり元の症状に戻るんだというのは、吾妻ひでお氏の漫画『失踪日記』でも吾妻先生の実体験談として描かれてましたね。

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