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 前回の和子は「戦争でも赤十字は非戦闘地帯の筈だ」という原理原則を必死に叫び、五郎と弦太郎が見守る中で殺されていったが、本話のシスター・祥子は「人間同士無暗に戦うものではありません」と言い、弦太郎と物別れになった五郎に対し「神は汝の隣人を愛せよと訴えました。どうか弦太郎さんを助けてあげてください。お願いです」と五郎の正体を見ぬき訴えた。
 その結果、アイアンキングは第16話目で初めて、敵ロボットに単身で初勝利を果たす。ここでは五郎もまた「聖女」に救われて、「人間らしく」自分の意志で勝利するのだ。

 第17話『アイアンキング殺害命令』で登場する真琴(演ずるは田代千鶴子)は「姉」であり聖職者ではないが、その神聖性は佐々木守氏が脚本を担当した大島渚監督の同年の映画『夏の妹』でも分かるとおり、佐々木氏にとって「姉・妹」は血で繋がった「聖なる者」なのである。
 真琴の弟は独立幻野党の党員であり、姉に向かって「俺の事はもう死んだと思ってくれ。俺たちはもう別の世界の人間なんだ」と告げ去る。 今回重傷を負うのは、真琴を庇って銃弾を受けた五郎。「弟は誰かに誘われたんです。弟はあんなことが出来る子じゃありません」と、ここでも「聖なる女性」は現実と向きあう事をしない。独立幻野党編では、登場するゲスト女性陣がことごとく「現実を見ない」代わりに、弦太郎と五郎が現実と向き合う役割を担うのである。
 しかしそれはある種の「社会の役割論」でもあり、弦・五コンビはその試練を超える度に「現実社会の人間としての、自分達の居場所と役割」を無意識に掴むことになるのだ。

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 不知火一族編では徹底して「戦争に巻き込まれる平和」を象徴していた「女性」が、独立幻野党編では一転して「守らなければいけない『現実の抱く幻想』」として描かれる。だが、その構図でこそ弦太郎と五郎は、物語から去りゆく女性達に「現実」を与え、自分達は一つ、また一つ血肉と体温を得ていく。本話でも弦太郎は真琴に向かって「もし俺に姉さんがいたら、俺がこんな残酷な戦いをしてるなんて信じないだろうな」と、果てしない孤独の中で自分を苦しめる心情を吐露する。
 本話でも、結果的に弟が独立幻野党に粛清され殺された真琴に対して「すまなかった」と謝ることしか出来ない弦太郎だったが、それに対して「現実を受け止めた」真琴は凛として「ありがとう、弟は幸せものです。だって弟は、思想の為に自分の考えを貫いて死んだんですもの。貴方達も自分の考えを貫いて闘っているんでしょう? それだけのことですもの」と言う。

 そんな「思想を持った」独立幻野党編の最終回第18話『ロボット怪獣全滅作戦』では、冒頭から怪獣ロボットが国会議事堂へ向けてミサイルを発射するテロが描かれ、とうとう独立幻野党の本拠地が描かれる。

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大和国家の議事堂へ向けて放たれるミサイル!

 「そこ」は「鎮守の神様の地」であるはずの「神社(日本神道の拠点)」。
 ここでも弦・五コンビは「自分の中で産み落としてしまった優しさ」故に危機に陥るが、二人はそこで一人村に残っていた女性・淳子(演ずるは大川栄子)を守り抜き、独立幻野党最後の野望を、人間・静弦太郎と人間・霧島五郎が打ち破るという展開で幕を閉じる。
 ラスト、独立幻野党の拠点とされていた村は平和を取り戻すが、そこに残されるのは淳子一人だけで、再び村は淳子ただ一人からやり直すことになる。そんな淳子が復讐の為の銃を向け「なぜ村の皆を殺したのか」と問い詰めた時、独立幻野党員の一人は「革命の為の尊い犠牲だ」と答えた。

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「どうやら俺たちの夢は虚しく潰え去ったようだ」独立幻野党の首領(松村克己)はそう言い残して党は全滅し、消え去った。
 その独立幻野党に関して、後年佐々木守氏はこう述べている。

「“独立幻野党”に関しては、こうしたヒーロー物を書いている自分にも、どこかにパレスチナゲリラに同調した足立(正生)君のような気持ちがあるんだ、っていうところはありました。僕は直接行動はできないけどさ、そういう人達をドラマに出して、気分はわかるよ? と。60年代後半から70年代はじめの頃までの時期は、やはり革命の機運が高かったんだよ。10.21国際反戦デー(新宿騒乱事件)のときなんかね、新宿が歌舞伎町のあたりから今の新宿松竹や伊勢丹のあるあたりまで、学生達が座り込みで占拠してね」

『夕焼けTV番長』佐々木守インタビュー 岩佐陽一

次回 佐々木守論「『アイアンキング』(1972年)が戦った時代【後編】」

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