シン・機動戦士ガンダム論
もちろん、今回の論旨は、富野監督が不遜であるとか、商品でもある作品を私物化しているとか、プロの脚本家や音響監督よりも才能があるといったことではない。
アニメ、特に毎週流れるテレビの世界では、やはり制作スピードが命である以上、相応の以心伝心が可能なスタッフワークでない限り、自身で出来るのであれば、会話や描写の脚本部分も、ゲストメカのデザインも、声の演技の指導も、全部自分でやってしまうほうが「手っ取り早い」というのが当時の状況論として前提にあった。
もちろん、『ガンダム』の場合、キャラクターデザインの安彦良和氏や、メカニックデザインの大河原邦男氏の功績も大きいし、名前も出ない動員スタッフの、一名が欠けてもあの稀代の名作が出来上がることはなかったろうとは思う。
特に、安彦氏の存在は重要で、安彦氏は当時『ガンダム』においてはキャラクターデザイナーと作画監督だけではなく、まだ誰も名乗らなかった「アニメーションディレクター」なる役職に就き、『ガンダム』の物語面、演出面でも、富野監督と支えあいつつ、富野監督個人ではない色合いを肉付けしていったキーパーソンでもある。
あの時の僕の立場というのはアニメーションディレクターと言うものでした。それは僕が創った言葉だったんですが、ただ単に作画監督としてではなく、受け取った絵コンテやプロットに対して異議を申し立てることが出来るアニメーターのチーフというものだったんです。だから、富野さんの演出プランに対して、あるいはシナリオに対しても文句をつけるかもしれないが、それはあらかじめ承認してくれと。
ラポート『機動戦士ガンダム大事典』安彦良和インタビュー
確かに、『ガンダム』で大監督になってしまってから、富野監督の絵コンテや演出に対し、異議申し立てを出来るようなアニメーターはいなくなってしまったという事実(アニメーションディレクターという肩書と役割は、直後の『伝説巨神イデオン』(1980年)で、湖川友謙氏も就任している)を前提にして考えると、『ガンダム』以降富野監督は『戦闘メカ ザブングル』(1982年)『聖戦士ダンバイン』(1983年)『重戦機エルガイム』(1984年)と、珠玉のヒット作を連発するのではあるが、逆を言えば最初の『ガンダム』を越える大ヒットには、結局巡り合えず今があるという認識で語れば、最初の『ガンダム』も、富野氏の個人作品ではなく、少なくとも安彦氏との共同作品ではなかったのかという問いかけには有効性がある。
けれども、と筆者はこのエクスキューズを投げかけてみる。
近年、アニメ展開がなされたガンダム作品に『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』というのがあるが、これはそもそも「富野氏と二人三脚で『ガンダム』を作った安彦氏」が、富野氏とは関係ないところで、個人創作の漫画というメディアで、30年の時を経た2001年から、最初の『ガンダム』を完全に自分流でリファインした作品なのである。
だからこそ、誰もが観ただろう、最初のTVアニメーション『機動戦士ガンダム』と、富野氏が個人で執筆した小説版『機動戦士ガンダム』と、安彦氏の『ORIGIN』を三点観測することで、映像版の『ガンダム』の、どこが富野要素で、どこが安彦氏のカスタマイズだったのかを精密機器実験のように抽出することが可能なのだ。