確かに(筆者が理数を全く介さないように)理系人間と文系人間は、そうそう相入れるものではなく、社会においては、互いが互いに相互の役割を、補完しあうことで、初めてシステムが機能しているのだが、こと、文化・文学においては、文系の人間同士の専門性ゆえに行き詰まり閉塞したその先を、こじ開ける突破口として「文系だろうと理系だろうと、人間は人間に代わりはなく、そして文学とはそもそも、人間の物である」という不文律の下、理系人間ならではのセンスやアイディアが、かつてない面白さや斬新さを呼び起こし、既存のジャンルやカテゴリに縛られない、新たな娯楽分野を開拓したのだといえる。

ただ、やはり餅は餅屋という言葉があるとおり、すべてを手放しで誉められないのもまた事実。

ちょっとここで話題は脇道に逸れるが、皆さんは、家電やパソコン、携帯電話などに付属してくる、取扱説明書、いわゆるマニュアルについて、詠みにくい、解りづらい、不便、不親切と感じたことはないだろうか。
それは一言で集約するのなら「専門知識や用語の知識がなく何も解らないユーザーに向けて書くべき文章を、全ての基礎知識や用語を、既に熟知している技術者が、そこのギャップに無自覚なまま、理論と整合性と完璧さだけをテーマにして書く」からである。
理系畑の人間と、(文系含む)一般社会の人間とでは、おのずと技術レベル・理数レベルの基礎知識には差があって当たり前である。
大切なのは、自分が何をどこまでを「当たり前」と前提認知して、どこまで掘り下げて書くのかではなく、読む側の知識の「当たり前」コモンレベルがどこにライン引きされていて、どう伝えることで、誤解も無理もなく、全てが伝わるかなのである。

いざ理系の人間が筆を執った時には、ここでの思い違いや距離の見誤りが起きやすく、たまに書店でみかける『初心者でも分かる相対性理論』だの『今日からサクサク使いこなせる初めてのパソコン』やらを読んでも、本当の初心者にしてみたら、読んでみてもやっぱりさっぱり分からなかったり、いくら読んでもパソコンがサクサク使いこなせなかったりするのは、まぁ、ぶっちゃけて言ってしまえば、そういうわけなのである。

実際『パラサイト・イヴ』を読んだ人の中で、あそこで延々解説が述べられた、突然変種ミトコンドリアに関しての解説のアレコレを、ただ読むだけで、全てすんなりと理解できた人がいたとしたら、おそらくその人は、大学で理系を選んだ人か、高校時代までは理化学に関して、相応の成績を残していた人であり、はたしてそうでない人であっても「なんか今これがすごいベストセラーになっているらしい」程度の認識で手に取った人の多くは、そこでの設定解説の、あの理系的な難解さや専門用語の容赦ない羅列に対しては、かなり萎縮してしまったのではないだろうか。

ドラマ版『チーム・バチスタの栄光』

そういう意味でのみ言えば、本作シリーズで海堂尊氏の筆が繰り出す、専門知識や用語の(無知識な一般人へ向けての)言霊コントロールは並外れて上手い。
そこで、登場人物間で矢継ぎ早に繰り出される、医療専門用語の連続は、しかし不思議と、理解不能や解釈の迷走を呼び起こさせない。
意識か無意識か、海堂氏はそれらの専門用語の列挙が、決して読者の理解の妨げになることなく、あまつさえ、専門用語で交わされている会話が、本質的に誤解を生じないように巧みに台詞内に配置しているのである。
これは海堂氏と瀬名氏の筆力以上に、『パラサイト・イヴ』の「それ」が、小説本文の解説フィールドで展開されたのと、本作での「それ」が、主として登場人物間における、会話の中で用いられたこととの、明確な差が生んだ違いなのではないか。

海堂氏はそれでも「医療現場」という閉じた世界での物語に水を差さないように、専門用語への注釈は必要最小限度に留めているが、そこでのタームはかなり高い次元でコントロールされていて、ぶっちゃけるなら「ここで会話のやりとりに使われている医療用語が、どんな意味の単語なのかが伝わらなくても『どうやら患者の様態が急変してしまい、医師と看護師が大慌てで対応しているらしい』が読者に伝わればそれでいい」という、きわめて文系的な計算力で構築・構成しているのだ(計算か無意識かは不明)。
それは裏を返せば「医療専門用語が日常用語化している、非日常世界」を、高次元のリアリズムで描き出すことでもある。
それは、そこ(大病院の内側)が、我々が日々を過ごしている世界ではなく、常識も観念も、倫理も外界とは異なる世界なのだという真理を、自然体で表現することに繋がっているのだ。

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