1/144ザクという存在 1980年9月

『ガンダム』放映後38年が経過した現代においても、「『ガンダム』を象徴するメカはザクだ」と言い切る人は多く、それだけザクというメカが、『ガンダム』のキービジュアルだったことは否めない。
むしろ、ザクは、ロボット漫画で当時はまだ珍しかった「毎回同じメカが登場するやられロボット」であると同時に、ミリタリーマニアや、プラモデルのAFVスケールモデラー(実在の戦闘機や戦車、戦艦などを作り込むプラモデルマニア)からも『ガンダム』が注目されたトリガーとしても象徴的であった。
実際「もはや、出てくるメカがどれもこれもガンダム」というガンプラ、フィギュア界隈でも、根強くガンダムを凌駕するバリエーションと商品数で拮抗しているのは、後にも先にもザクだけである。

なので、ガンプラ黎明期のベストメカコレクションラインナップでも、本命路線の1/144ガンダム、クローバー合金玩具フォーマット準拠の1/100ガンダム、ヤマトメカコレクション準拠の量産型ムサイと、三方向からの保険をかけたアプローチの中で、やはり、というか当初から「1/144スケール(本当は300円サイズのこと)で、モビルスーツの可動アクションフィギュア方式」が一番のフラッグシップコンテンツとして想定はされていたので、少なくともシャア専用ザクに関しては、それら三種の売り上げの結果を待つまでもなく、すぐさま発売に持ち込んだという流れはある。

ベストメカコレクションという、300円規格統一のサイズとコストという制約の中で、過去に例を見ない、玩具前提ではない(むしろ、アニメーター側の手数軽減を前提にした)シンプルで曲線構成デザインのロボットを、モーター走行ギミック等ではなく、プロポーションと可動を優先して立体化したという点では、この1/144ザクの発売は、確かに偉業であった半面、見る目が既に肥えていたミリタリースケールモデラーなどからは、初期の段階からそのプロポーションや関節可動などに対しては、苦言を呈される窮屈なスタートを飾る事にはなってしまった。
しかし、スポーツ選手の成功の陰に鬼コーチの存在があるように、そこで模型雑誌やモデラーによって、徹底的にダメ出しをされ、カスタムされての作例が、『月刊ホビージャパン』や、バンダイの『模型情報』をはじめとした、各種メジャーシーンで大きく取り扱われた結果、後のMSVやMG、HGUCなどでのリファインへと繋がっていったのも事実で、それは功罪合わせ、ザクのプラモデルという歴史自体を作り上げるに至った大きな要因であろう。

といっても、発売当初時期の、バンダイプラモデル(しかも可動アクションロボット)技術の前例の無さや、まだガンダムブームが起きる前のタイミング(むしろ、このガンプラの存在自体が、ガンダムブームが加速する大きな原因である)などを考え合わせると、この時点での1/144ザクの仕様に関しては、この金型と製図は充分な起爆剤としての役目を果たしたと称えるだけのポテンシャルを今も有している。

その上で、「足首が可動しない」「肩幅が広すぎる」など、アニメデザインやアクション性から「足りない」と思われた部分を、エンドユーザーやモデラーが、自分自身の手でカスタムして、バンダイ側も、次の新製品ではさらにギミックやプロポーションの向上を図るという、良い意味でのスパイラルが、ガンプラブームの加速要素となったのは言うまでもない。

バンダイは、ザクで不評だった足首の不可動を、シャア専用ザクの2か月後に発売された1/144グフで早速改善。
むしろこの1/144ザク発売から、一年半以上経った先での、1981年10月発売の1/144旧ザクが、設定上はザクの旧型であるにもかかわらず、肩アーマーやモノアイスリット、足首などが別パーツになっていたり、平手が最初から付属していたり、全身のプロポーションや可動性も、シリーズ初期のザクより遥かに向上しているので、腕に覚えのあるモデラーやマニアは皆、旧ザクを素体に用いて、改めて1/144ザクとニコイチ(二個のキットを一つにするという意味)にさせて、ブラッシュアップさせたザクをミキシングビルドで作り上げるという流れも、当時の風潮として実際に起きたのも、今思えば懐かしい。

ガンプラシリーズ展開体制へ

1980年11月の、1/144グフと1/100ドムの新商品の好調さは、バンダイに更なる拍車をかけた。
ここまでの市場調査で、1/100でも充分シリーズ展開がやれると判断したバンダイは、後々「ドムにハズレなし」というガンプラユーザーの格言を生んだ1/100ドムを発売。
さらに12月には、1/144ズゴックを出しつつ、この連載を第1回から読んでくださっている方であれば、ある意味「当初このアニメの主役メカになる予定だった」という言い方で分かっていただけるはずの、1/1200ホワイトベースを、アニメ艦船リアルキットとしても、ギミック玩具としても両立するクオリティで発売した。

そして同時にガンプラは、3つ目のスケールとなる1/60で、ガンダム、シャア専用ザク、量産型ザクの3種をそれぞれ2000円で発売するが、これはまさにクリスマス商戦用のアイテムであったためか、1/60は、まさに翌年のクリスマス商戦時期のドムまで発売はされなかった。

その間に、ガンプラは『ガンダム』ブームの追い風と、劇場用映画版『機動戦士ガンダム』(1981年)への期待感をバックに、登場モビルスーツを次々と、1/144と1/100で商品化。
映画版1作目と2作目『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』(1981年)の間では、1/20で、アムロやシャア、マチルダやセイラなどのキャラクターの固定ポーズプラモデル、今でいうキャラクターフィギュアのプラモデルまで安価(100円)で展開してみせたが、ガンプラユーザーの主流はリアル志向のメカモデラーやミリタリージオラマファンであったため、こちらはシリーズ第3弾で計10個の商品を出しただけで終了してしまった(しかし逆を言えば、1981年のアニメキャラフィギュアの再現生産力で、10種類の商品展開が出来ただけでも充分すごいのだが)。

また、同じように、この時期だけのあだ花で終わってしまったガンプラに「1/250 ガンダム情景模型シリーズ」というシリーズがあった。このシリーズは『ランバ・ラル特攻』や『宇宙要塞ア・バオア・クー』等、劇中の印象的なシチュエーションを、1/250固定ポーズのモビルスーツ数体と、ジオラマベースや背景をセットにすることで、雑誌『ホビージャパン』等で当時大ブームだった「『ガンダム』のジオラマ」を、安価で誰もが手軽に楽しめるというコンセプトの商品だったのだろうと推測される。

しかし、一方では雑誌のジオラマ作例と「1/250 ガンダム情景模型シリーズ」キットのクオリティに差があり過ぎたのと、実際のセットに入っているガンダムやザクやズゴックといった1/250スケールモビルスーツプラモデルのほとんどが「1/144キットでも、動かせば出来るポーズ」での立体化が多く、柔軟な発想に欠けていたことも、このシリーズが動脈化しなかった理由だろうと思われる。

マチルダ「リード中尉以下のサラミスの乗組員、避難民の病人など三十五名はひきとります。ホワイト・ベース、モビルスーツについての何の決定も知らせておりませんので現状のままです。尚、今までの戦斗記録は、レビル将軍の命令により、コピーをいただきます」
マチルダ「あなたの斗いがなければ、私たちもやられていたわ。ありがとう、……あなたはエスパーかも知れない……」

アムロ「そ、そんな……」
マチルダ「がんばって……」
アムロ「はい」

ナレーション「一瞬の香りを残してマチルダは去った。アムロにとって、それは初めて知った女性の香りであったのだろう……」

やがて、ガンプラは商品ではなくジャンルへと変化し始めた。
次回「『シン・機動戦士ガンダム論!』第11回『ガンプラを語り尽くせ!・3』」
君は、生き延びることができるか?

(フィギュア再現画像特殊効果協力 K2アートラクション)

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