地球防衛軍を舞台にした、キリヤマ隊長とクラタ隊長の二人のドラマ。
男と男、大人世界のアダルティな世界を感じさせるこのエピソードは、脚本家・市川森一氏の、この時期の真骨頂であると同時に、市川氏にとって本話は、脚本家としてのウルトラシリーズデビュー作であった。
1941年、長崎市に生まれた市川氏は、その後日大を卒業した後、当時コメディ界の売れっ子作家だった、はかま満緒氏に師事して、コント作家として修行を積んでいた。
その当時の思い出を綴ったドラマが、1993年に日本テレビ開局記念ドラマとして放映された『ゴールデンボーイズ-1960笑売人ブルース』である。
このドラマでは『私が愛したウルトラセブン』(1993年)で、上原正三を演じた仲村トオルが市川森一を演じていたり、その市川(仲村トオル)が恋焦がれるアイドル歌手の少女が、『私が愛したウルトラセブン』ではアンヌを演じていた田村英里子だったり、また、はかま満緒を演じていたのが、1989年に佐々木守脚本でドラマ化された、実相寺昭雄監督自伝小説が原作のドラマ『ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟』で、円谷一(役名は一郎)を演じた三宅裕司だったりと、様々な形で、当時前後したウルトラ回顧ドラマと密接な関係にある。
直接的に、ウルトラと関連した描写はないドラマだったが、ウルトラファンを自称する人であれば、観ていて損はないドラマであろう。
話が横道に逸れるが、筆者にとってここでこうやってウルトラを語り書いていく行為は、考古学に近いものがあると思っている。
かつてインタビューした、山際永三監督のお言葉ではないが、作品はいつでも時代と共にある。
60年代後半は、ウルトラだけではなく、喜劇の世界も邦画も、文学の世界もアートの世界も、全ての文化がエネルギーが満ち溢れていた。
この時代を境に生まれた、テレビという媒体を介した喜劇界のエネルギッシュな空気は、それこそその『ゴールデンボーイズ』というドラマから窺い知れるのではあるが、喜劇界がにわかに活気付いたのも、ウルトラが一気に子ども達の間で、社会現象にまで上り詰めたのも、あの時代全体が持っていたエネルギーと、双方共に無縁ではなかっただろうと断言できよう。
つまり筆者は、作品を論じるときに必要なのは、実は作品だけを抜き出して向き合って、その作品の内側からのみ取り出したものだけで足りるのではなく、むしろ、その作品の外側にも、同じだけの(いやもっと多くの)鍵が、その作品を生んだ時代そのものに存在していて、その時代性や、当時の空気や流れなどを汲み取らなければ、その時代に生まれた作品であるウルトラは、評論など出来ないと思っている。
確かに、ソフトというものは時代を超える。
そしてウルトラのように、時代を超えて愛されるコンテンツには普遍性がある。
しかし、たとえ現代のように、ソフト化を見据えて作品が製作される時代であっても、たとえ映像でなく、漫画でも小説でも、絵画でも音楽であっても、全ての作品は時代と共に生れ落ちて、その時代を反映するのである。
つまり、過去の映像をソフトで観るという行為は、そのコンテンツを通じて、過去の時代をほんのちょっと覗き見るという行為であり、そしてその「一部だけを除き見る行為」では、決してその作品を育んだ、土壌としての「時代」の全貌など見えはしないし、作品を産み落とした土壌としての時代を俯瞰できなければ、その時代によって育まれた作品の、核を見据えての評論など出来はしないのである。
確かに「時代を超えた不朽の名作」は存在する。
そしてそういった不朽の名作は、いつの世にも、時代に関係なく、人の心に訴える物を持っている。
しかし、それをそのまま個人として受け止めて、感想を述べるのと、それを評論として、改めて発信するのとは、また話が違うのだろうと、筆者は思うのである。
個人の娯楽としての、好き嫌いの範疇であれば、時代背景なんてどうでもよくて、そこでソフトだけを抽出して楽しめば良い。
けど、それを評論しようなどと思うのであれば、その評論対象が生まれた時代背景や、同じ時代に産み落とされた他の作品にも、しっかりと目を向けて、学ばなければいけないことは、実は少なくはない。
そうやって、時代を俯瞰していったときには、実はウルトラを解く鍵が、ウルトラとは全く関係がない、ドラマや映画にあったなんてことはざらであるし、それが普通だったりすることが多い。
ウルトラでいえば、第一期と第二期を繋ぐミッシングリンクという意味では、ウルトラや特撮にしか興味がないファンは、『怪奇大作戦』(1968年)や『ウルトラファイト』(1970年)などからしか、一期と二期を繋ぐ糸は見つけられないかもしれない。
しかし、実はウルトラとは(そして円谷とも)全く関係がない、橋本洋二プロデュースで、上原正三氏などが脚本を書いた、『どんといこうぜ!』(1969年)というドラマや、上原氏や市川氏が脚本を手がけた『千葉周作 剣道まっしぐら』(1970年)などの方が、そのミッシングリンクにとっては、大事な要因としての役割を持っていたりもする。
自分が生きて、生まれていれば、その空気や時代の風を、肌で感じ取る事が出来る。
しかし、後から遅れて生まれてきた者がそれをやろうというのなら、まったくもって、考古学と同じレベルの、知識と勉強を必要とされるのだ。