水陸両用モビルスーツという概念

考えてみれば、この時期に新機軸として登場した「悪いロボット」の方向性の一つとしての「水陸両用モビルスーツ」という概念は、一方では今やネットスラングで「ジオン水泳部」等と呼ばれて愛され続けてもいるが、他方では、宇宙空間と違い、表面上の七割を海が占める“地球上”を征服支配しようという悪の軍団が送り込む刺客としては、とても説得力がある“やられメカ”であり、さらに他方から考えると、重力下の地球上では、空も飛べない、高速移動も出来ないガンダムを相手に、地の利を活かした戦略で主役ロボットの危機を描き、それを劇的なとんちと技で勝利するには、敵は空や海から襲い来て、正義の味方は“合体パワーアップメカ”とコンビネーションプレイで、そこを戦い抜く構図にすることが、“スーパーロボットまんが”としては、非常に正しい判断なのである(筆者が毎回、文章と全く関係ないような形で、ガンプラやフィギュアで再現画像を並べているが、要するに『ガンダム』は、そういった“スーパーロボットまんが”としての義務や、メカの活かし方を最大級引き出しながら、同時進行でランバ・ラルとハモンや、マチルダ、ミハル、リュウ、等といった「人生の終わり」を描いてみせて、その狭間に「等身大の人間のリアクションと成長」という本道を敷いていったわけだが、そこはこの連載の最終段階論で再考する)。

しかし一方で、「なぜモビルスーツが人の姿を模しているのか」へのエクスキューズをぶり返すと、ズゴックやゴックやアッガイといった「水中での活動がメインの兵器」が、手があり足がある“人の姿”に収まっていることへの説得力が足りなくなる。水力抵抗を軽減する流線形のボディも、手持の武装を排した内部武装型の構造も、それらディテール論は水中用としての説得力がなまじ高いだけに「だったら何も、人のシルエットを模す必要性がないだろう」へ、常識的な思考は落ち着いてしまう。

だからこそ、のジャブロー戦であり、水“陸”両用モビルスーツという兵器なのだろうということで、富野監督が言及した、ジャブロー戦辺りで、戦争の図、絵としての溜飲が下がるわけだろう。

ガンプラマニアであれば、この時期、筆者が『シン・機動戦士ガンダム論!』第12回『ガンプラを語り尽くせ!・4』で語ったように、後に公式モビルスーツ化する、没デザインのジオンのモビルスーツが幾つか考案され、その中の幾つかは実際に大河原邦男氏によってフィニッシュワークまでされ、後は出番を待つだけという状況にまで至っていたのが、ジュアッグ、アッグガイ、ゾゴック、アッグといった、良く言えば個性的、悪く言えばワルノリし過ぎた怪獣チックなモビルスーツ群なのではある。

放映終了時期から(つまり、まだ『ガンダム』ブームが熱狂的になる前から)アニメ制作元の日本サンライズが刊行していた『機動戦士ガンダム 記録全集』の4では、それら没モビルスーツのフィニッシュデザイン原稿と、そこに至るまでの富野ラフ(以前も書いたが、富野総監督の場合、キャラもメカも監督自身でラフを上げることが多く、例えば有名どころでは、ゾックやビグ・ザム、エルメスなどは、大河原氏はフィニッシャーに徹して、富野ラフそのままにデザインを仕上げることも少なくない)、等々が、項目の隙間から富野氏の迷いが見て取れるような流れで、冷徹に並べられ、足跡となっている。

アムロ「セイラさん発進します! よろしいですか!」
セイラ「どうぞ! アムロ!」

マーシー「ン? いやに大型の戦車が?」

セイラ「アムロ! もう一機のモビルスーツが海へ逃げたわ!」
アムロ「了解! ホワイトベースに確認して下さい。Bパーツの準備がどうか……」
セイラ「ホワイトベースに戻る必要はなさそうよ。オムルたちが空中換装の準備をしてくれているわ。操縦、私がやるわね! アムロ」

アムロ「ドッキングサーチァ連動! いいぞ。操縦席切りかえ完了! ガンダム離脱します!」
セイラ「了解! 追撃戦くれぐれも気をつけてね アムロ」
アムロ「了解」

アムロ「そこだ!」

レビル「勝ったな……ガンダム」

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