そこでは、当初日本テレビの清水欣也プロデューサーと、(同じアパートに住んでいた)ショーケンと市川森一が、映画監督の工藤栄一氏なども巻き込んでアレコレと「テロリストが主人公の物をやろう」から始まり、「任侠ドラマをやろう」「いや、色事師の物語をやってみよう」と紆余曲折し、結果として、探偵失格ドラマとしか言いようのない「チンピラドラマ」が仕上がったわけであるが。
その演出陣も、工藤栄一を筆頭として、恩地日出夫・深作欣二・神代辰巳・児玉進と、まるで「製作・東宝」とは思えないような面子の、豪華な超混成部隊が揃っており、それも一騎当千、当代の映画青年達がスクリーンで敬愛してやまなかったような、オールスター監督陣が、毎週交代でメガホンを執っていたのだから、これはたまらない。
そういう意味では、今やテレビドラマ界の伝説と化しているこの作品が、「あの時代の終わり」の始まりを、まずは告げたのだろう。
時は1974年。巷では、『ノストラダムスの大予言』と『日本沈没』が社会現象化していて、日本全体が、終末観や厭世観、70年安保以降の敗北感やあさま山荘事件といった、「殺伐としたやるせなさ」と「行き詰った閉塞」に満ちていた時代にこのドラマでは、「そんなセカイででも、青春を過ごさなくてはならない若者」が、描かれていた。
『傷だらけの天使』は上でも書いたとおり、もはや刑事物でも探偵物でもない。
犯罪が茶飯事の日常の中で「新宿の屑」同然の二人のチンピラ、萩原健一氏と水谷豊氏が、毎回、パトロンとして食いついている、岸田今日子、岸田森両氏(俳優同士としては、二人は血縁関係に当たる)の綾部探偵事務所から、内情がよく分かっていないお使い任務を任されては、罠にはめられたり、出し抜こうとして制裁を食らったり、碌な目にあわない物語なのだ。
『自動車泥棒にラブソングを』
『傷だらけの天使』市川森一脚本第一回作品
市川森一氏が企画プレゼン用脚本で書いた『自動車泥棒にラブソングを』(監督・恩地日出夫 放映は第7話)では、盗難自動車を密輸して儲ける組織を追っていく先で、ショーケンと水谷はそこでの下っ端の女性(川口晶)と協力して、互いの組織を出し抜いて、大金をチョロマカして逃げることになる。
呉越同舟で逃亡するうちに、なぜか三人で珍道中になっていき、そのうち三人それぞれが、田舎に帰って普通に人生を送ろうかと言う話になる。
ショーケンと水谷は、川口を田舎まで送っていったが、既に、岸田今日子側と自動車盗難組織側では話がついており、ショーケンと水谷は、ダブル岸田にこっぴどくヤキを入れられ、翌日の新聞の社会面では、川口の死が伝えられていたというもの。
これなどは、当時のアメリカン・ニューシネマの『俺たちに明日はない』(原題: Bonnie and Clyde 1967年)の如実な影響が見て取れて興味深い。
その他の市川森一脚本の『傷だらけの天使』でも、時代の鬱屈が閉じていく「積んだやるせなさ」は健在だ。