ドドンゴは、中国伝承の麒麟をモチーフにデザインされたのは有名であるが、ウルトラでデザインを担当した成田亨氏が、実物の生物ではない、ウルトラ以前の架空生物をモチーフに、怪獣・宇宙人をデザインした例は他にほとんど見られず、僅かに『ウルトラセブン』『水中からの挑戦』に登場したテペトが河童をモデルにしていた程度であり(例えばウーが、雪男の怪獣デザイン化であったかどうかは微妙な問題だと思うので)、しかもテペトはそもそも、当時のイベントとしてのデザインコンテストで、公募された中から選ばれたデザインをリファインしただけであることを考慮すると、この話に登場する怪獣に、中国大陸伝承の麒麟を投影したというのは、本当は実に興味深いアプローチではないかと、筆者には思えるのである。
本来ドドンゴのデザインは違うものであった。
デザイン段階では四足歩行怪獣であり、実は皆さんはその没デザイン版を、違う怪獣として既に認識して知っているのだ。
その没デザインは、そのまま『恐怖の宇宙線』でガヴァドンBとして登場しており、だからガヴァドンBが「子どもの落書き」にも関わらず、前足・後足が、なぜか骨のモールドむき出しでデザインされているのは、そもそもがガヴァドンが「『ミイラ怪獣』ドドンゴ」としてデザインされた名残であるからなのだ。
その四足版ドドンゴであるデザインが没にされ、ガヴァドンへと流用された経緯はおそらく、円谷一監督側から、歌舞伎馬式の表現怪獣のアイディアが出たからであろう。
そのアイディアが円谷一監督から出された段階で、既に成田亨氏サイドでは四足怪獣のデザインが完成していたわけであり、それがなんらかの事情を経てガヴァドンに流用された流れは想像に難くないのだが、だとして、円谷一監督が出した歌舞伎馬式のアイディアを受けて、中国伝承の麒麟を、そこに落とし込んだきっかけとはなんだったのだろうか。
ドドンゴの体形やシルエットは、麒麟特有というものではない。
それこそ馬でも牛でも、モチーフ元になるだろうあのシルエットの生物は、現実にいくらでもいるだろうし、いやむしろ、現実にいくらでもありがちな動物としてのシルエットゆえに「実在の生物をただ大きくしただけのデザインはしたくない」と、自己に禁忌を課した成田氏が、実在四足動物モチーフを嫌ったのだとしても、だからといって何も、あえて麒麟を持ち出す必要性は感じられない。
いつものように、独創的で芸術的観点から、成田氏独自のキュビズム・シュルレアリズムで「新たな架空生物」を、創造すれば良かっただけの話ではないだろうか?
筆者はそこで、どうしても本話の設定が持っている「7千年前」というキィワードが、ドドンゴに麒麟の意匠を被せたのではないかと考えるのである。
日本人は、この列島発祥の独自民族ではなく、というか、そもそも大和民族などというカテゴリ自体が幻想であることは、今ではある程度常識であるが、そもそもこの島国には様々な原住民が生息していたにも拘らず、大陸から侵略してきた騎馬民族によってその殆どが滅ぼされて、その騎馬民族が築き上げたのが日本という国家であり大和朝廷であり、侵略行為と、原住民族抹殺が、この国の成り立ちの基本なのである。
つまり、今もまだ少数残る原住民族(琉球民族やアイヌ民族他)以外の、ほぼ全ての日本人にとっては、そのルーツは中国大陸にあるのだ。
「日本で発見された7千年前の怪獣」が「中国で古来から伝わる伝承の麒麟」をモチーフにしているという図式は、当時の円谷関係者、いや当時の日本人が、潜在的に「日本の古代」が中国と繋がっていたことを、無意識下において知っていたことを示唆するものであり、それは「なぜ怪獣は南からやってくるのか」とあわせて、他愛のない子ども向け娯楽の中に出すら現れてしまう、日本人の中に存在する、DNAがもたらしたイマジネーションなのではないだろうか。
もちろんこの図式には矛盾があり、「ドドンゴが現れた古代地層は、日本の土地なのだから、そこから現れるべき怪獣は、侵略民族のルーツの国家イメージではなく、むしろ侵略を受け滅んだ原住民族側のイメージであるべきでは?」という問いかけも、もちろん有効ではあるのだが、それは多分『ゴジラ』において山根博士が語った「今からおよそ2百万年前、恐竜やプロントザウルスなどが全盛を極めていた時代、学問的にはジュラ紀というのですが……」に続く、およそ学問的とはかけ離れた説明と同じ「日本人の共通認識にしかない、もう一つの古代」それを表現しているのではないだろうか?
岩本博士が最後につぶやき、我々に投げかけた、永遠に残った疑問「ミイラと怪獣の不思議な関係」を解き明かす鍵は、実は我々日本人のDNAの中に在るのかもしれない。