今となってはもちろん、その事情を察するのは簡単である。

ウルトラの、特に第二期は、ウルトラマンと怪獣のアクションも、スピードとアクロバティックな動きを重視した演出に変わり、その、目まぐるしいアクションと殺陣を安全に行うためには、アクションをする範囲に、ある程度の広さを確保しなければ、スーツアクターの安全性を保てなかったという事情もあるだろう。

また、ミニチュアセットもコストの問題から、壊さずに使いまわすパーマネントセットとして流用する関係上、怪獣とウルトラマンが激しい戦いを繰り広げる範囲内には、壊してはならないセットを並べることは、出来なかったという事情もあると思われる。

もちろん、第二期当時の特撮スタッフも、出来る限りそのウルトラ広場が目立たないように、アングルを低くしたり、カメラとウルトラ広場の間に、住宅や樹木のミニチュアを置くなどして、工夫をしていた苦心はあった。

しかし、大人が思うよりも子どもの目というのは鋭く、また、大人の事情に対して容赦をしない厳しさがある。

子どもには、大人の事情など分かるはずもない。分からない以上、そこに突如出現した、広大なウルトラ広場には、観ていた子どもは、ただただ違和感を覚えるだけであり、テレビ画面を観ていて膨らませていた、想像と空想の熱が、一気に冷めていく実感を感じるだけなのである。

第一期ウルトラへの謀反心だけで、第二期ウルトラを過大評価する人は、論理的に「第二期の方が優れている点」を証明しようと意地になるが、そもそもウルトラは、子どもにとって自らの想像力を増幅させる、触媒のような役割も持っていたのであって、そこでの画面作りが、その想像力を膨らませるどころか、逆に冷や水を浴びせてしまっているようでは、いかに技術論や論理でフォローしようとも、決してひっくり返せるものではない。

そこでもう一度、第一期の作品群を振り返ってみよう。

実は第一期の作品群には、都会のビルが立ち並ぶ都市部を舞台にした、クライマックスの特撮が描かれる作品は以外と少ない。

ミニチュア建造物が、立ち並ぶセットで特撮演出された作品は、『ウルトラマン』では『ミロガンダの秘密』をはじめとして、『沿岸警備命令』『宇宙から来た暴れん坊』『オイルSOS』『遊星から来た兄弟』『悪魔はふたたび』『地上破壊工作』『怪獣殿下(後)』『来たのは誰だ』以上、全39本中の1/4に満たない9本に留まっている。

『ウルトラセブン』(1967年)に到っては、『姿なき挑戦者』ではコンビナート爆撃が描かれるものの、その他は『狙われた街』『ウルトラ警備隊西へ』『海底基地を追え』『蒸発都市』『勇気ある戦い』『第四惑星の悪夢』と、『ウルトラマン』より全体本数は増えているのに、ミニチュア都市舞台特撮本数は、むしろ減っているのである。

これは、予算云々という台所事情もあると同時に、ミニチュアで、都市部や住宅街を精密に構築してしまうと、クライマックスで、ウルトラマン(セブン)が怪獣と戦う舞台が確保できないという、そういったジレンマを表していたのではないだろうか?

だからこそ、第二期はそこを逆転の発想「ウルトラ広場」で乗り切った。

しかしそのウルトラ広場は、確実に観ていた子どもの夢の広がりを阻んでしまったのだ。

上で羅列した、第一期ウルトラにおける都市ミニチュアクライマックスでは、よくみると、二つのパターンが用いられていることが分かる。

ひとつは、クライマックスの戦いが、最初からなんらかの形で、広さを確保した場所に設定されているというパターン。

『怪獣殿下』の大阪城下や、『ウルトラ警備隊西へ』の防衛センター前など「広場があってしかるべき場所」へ向けてクライマックスが用意されている。

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