もうひとつは、クライマックスに到るまでに、怪獣がミニチュアセットをなぎ倒すだけなぎ倒しており、その結果、出来た瓦礫の跡で、ウルトラマンと怪獣が戦うパターン。

東宝映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)の特撮セットを流用して縦横無尽にセットを破壊した『ミロガンダの秘密』や、『沿岸警備命令』『宇宙から来た暴れん坊』『地上破壊工作』など、特に『ウルトラマン』初期のクライマックス描写に、その苦労の跡が忍ばれる。

本話は、そういう意味では、上の二つのパターンのうち前者に相当する。

というか、上で挙げた二つの方法論のうち、前者を提案してみせたのが、他ならない本話における「国立競技場でのクライマックス」であるのだ。「精巧なミニチュアで構築再現した、不自然な広場のないセット都市」と、「ウルトラマンと怪獣が自在なアクションを展開する足場確保」という、矛盾する二つの「怪獣特撮で大事な要素」を、ウルトラシリーズで初めて両立させたのが、他の誰でもない、特撮の神様・円谷英二であったというのは、やはりこれは、さすがと唸るしかないのである。

「ミニチュアセットとバトルゾーンの両立」に関しては、後の『帰ってきたウルトラマン』で様々な試行錯誤が行われ、例えば怪獣プリズ魔が登場する『残酷!光怪獣プリズ魔』などで、本話のような舞台設定が導入されたりするのではあるが、都市部クライマックス演出が目立つようになる、新マン2クール中盤からは、「ウルトラ広場」が確立されていくようになるのである。

創造を行う現場において、常に創意工夫を繰り返していくことは、クリエイターにとってはプレッシャーとストレスの連続であり、効率よく作品を継続的に送り出していく中では、ある程度の、試行錯誤によるシステム化は必要であるかもしれないが、思考停止した「表現のルーティン化」は、それが子ども相手であるならば、すぐに見抜かれて、見捨てられてしまうという現実を迎えるのである。 本話の、ダイナミックで緻密な特撮演出を観るとき、少なくとも、日本特撮の神様・円谷英二には、その「テレビで毎週ヒーローと怪獣の戦いを魅せていく難しさ」が見えていたのだということは、はっきり感じ取れるのである。

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