そして、映画化へ

しかし、“それ”はバンダイサイドのフライングで、実際には翌7月に、バンダイがガンプラ第1号の1/144ガンダムを発売するのとほぼ同じタイミングで、この頃アニメ戦線にまだ参戦できないでいた映画会社の松竹と、日本サンライズとの間で、正式に映画化の契約が結ばれた。
タイトルは『機動戦士ガンダム』。「1」も「Ⅰ」も「前編」も副題は付かず、つまりこの時点での松竹は、『ガンダム』のコンテンツ基礎体力を完全に信用はしていなかったことになる。

要するに、映画化は契約するよ。でもまずは1本だけだよ。だからタイトルも無印だよ。ヒットすれば続編の可能性もあるかもしれないけど、最初から続編ありきの契約じゃないよ。だから2時間ちょっとの尺で、テレビシリーズ1年間の物語の全てを納めてね。他のどのアニメ映画でもやっていることでしょう? というものだ。
当然といえば当然だが、自分たちがアニメ映画で実績がない松竹にしてみれば、こっちも実績がない日本サンライズと富野由悠季という監督に対するリアクションとしては堅実であった。

1980年10月。
日刊スポーツで、『ガンダム』の映画化が大々的に報道された。
その一週間後に、築地、東劇ビルで、『ガンダム』映画化の記者会見が行われた。
全国150館でのロードショーになること。続編は現時点では全くの未定であることなどがアナウンスされたが、そもそもこの記者会見は、日刊スポーツのすっぱ抜きや、富野監督やバンダイのリークが先行したために、慌てて松竹と日本サンライズが用意したものであって、会見場は質素なものであった。

しかし、多くの若いファンたちは、『ガンダム』が再生されることに大きな期待を抱いた。
テレビ版での、ニュータイプに対する少し早口で駆け足だった落とし込みや、テレビ版制作終盤で、作画監督でアニメーションディレクターの安彦良和氏が病気で倒れて戦線離脱してしまったため、重要なクライマックスは作画の質が荒れて、安彦作画特有の「柔らかさと芝居の機微」が明らかに失われていた。それらを、スクリーンで改めてリファインされた形で観ることが出来る。ファンは誰もがそこに期待をした。

クラウン「助けて下さい! げ、減速できません! シャア少佐ァー。助けて下さい助けて下さい助けて下さい!」
シャア「ク、クラウン……。ザクには大気圏を突破する性能はない……。気の毒だが……。しかし、クラウン……無駄死にではないぞ。お前が、連邦軍のモビル・スーツをひきつけてくれたおかげで、撃破する事ができるのだ……」
アムロ「あった! 大気圏突破の方法が!! 間に合うか? ……姿勢制御。冷却シフト。全回路接続。耐熱フィルム」
アムロ「すごい! 装甲板の温度が下がった!」

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