MASTER GRADEを生んだ、初代HG

前回『シン・機動戦士ガンダム論!』第12回『ガンプラを語り尽くせ!・4』後半でも言及したが、『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争(以下『0080』)』(1989年)『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY(以下『0083』)』(1990年)『機動戦士ガンダム 第08MS小隊(以下『08』)』(1996年)といった「『ガンダム』の一年戦争の裏側を描くガンダム系OVA」の商品化という枠で発売された1/144のガンプラが、本家のテレビや映画版の新型モビルスーツのプラモデルよりも売り上げが良かったり、デザインが新作の新型よりも評価されるなどの現象が相次いだ。

そこで起爆剤の役割を果たしたのが、メカデザイナーとしては『機動戦士ガンダムZZ』(1986年)からガンダムに関わってきたカトキハジメ氏であり、カトキ氏は前回解説した『月刊モデルグラフィックス』『ガンダム・センチネル』で、既にメカモデラーやガンプラユーザー達の指示を得ていた。
一方で、ガンプラは一時期、80年代後半から90年代前半にかけては、リアルプロポーションの通常ガンプラよりも、『SDガンダム』という、二頭身ディフォルメキャラのプラモデルの方が売り上げが良く、改めてリアルガンプラの方も対象年齢を下げようと、『機動戦士Vガンダム』(1993年)等では、組み立てを簡素にして、玩具っぽい売り方に徹する1/144と、モデラー向けの1/100とで住み分けをする時期があった。

イセリナ「ガルマ様の仇き!」
アムロ「……か、かたき、だと?」
アムロ「ぼ、ぼくが……かたき……?」
アムロ「なんという名前の人なのだろう……。ぼくを、かたき、といったんだ」

既にこの時期、ガンプラは購入対象の子どもの親対策で、接着剤不要、塗料不要の、はめ合わせ組み立て、色パーツ分け未塗装シール表現で、ほぼ完成する仕様が整っており(実際は、プラモデル用の接着剤や塗料で、依存症や乱用に発展することはあり得ないのだが……)、それらの技術はさらに進化して現代にも受け継がれている。

そんな中、まずは今書いた時期の「リアルガンプラの元気のなさ」を憂いたのか、潜在的一年戦争モビルスーツマニアの願望が、ガンプラの現状に対するカウンターになったのか。まだまだ往年のガンプラブームから卒業できずに、技術を蓄積したモデラー達が集っていた雑誌『月刊ホビージャパン』バンダイがコラボするような形で「究極のガンプラを商品化する」という形で企画が始まったのが、まさにSDガンダム全盛期の1994年。

そこから、概ねマッチポンプもいくばくかはありの推移を辿って、1995年7月、最初のガンダムのデザイナーである大河原邦男氏によるリファインデザインの「MASTER GRADE RX-78-2 ガンダム」がリリースされた。

実際は、そこでのミッシングリンクを担う形で、こっそりと「初代HG」という存在が90年代の頭に存在し、まさに「色プラ」「接着剤不要」「過去のガンダムを現代風にリファイン」等は行われていたのである。しかし、志に技術が追い付かない部分も多々あり、1/144でのコアブロック構想の再現やZガンダム、ガンダムZZの変形の再現など、評価すべき点も多々あるのだが、最終的な出来は、及第点に惜しいが届かないレベルに終始してしまったため、今回のMGは満を持してのリベンジとなった。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事