では例を挙げて説明しよう。

たとえば映画やドラマで、下の写真のような構図で描かれてるシーンがあったとする。

まぁよくあるシーンではあるし、今解説しているシーンでも、ムラマツとアンヌはこの構図で描かれている。

そして次のカット。どちらか一人がUPになるとき、こんな構図でUPになったらどうだろう?

観ている側は困惑するに違いない。「え? 今ウルトラマンは、確か左を向いてなかった?」と思うだろう。確かに、カメラが前のカットと正反対の位置から写せばこのようなカットになるのだから、決して前のカットとは矛盾はしているわけではない。

しかし「矛盾していない」ことと「不必要な不自然さ」とは別の問題だ。

前のカットで視聴者には「ウルトラマンは右に、ゴモラは左にいる」という、前提が植えつけられるのだ。なのに、次のカットでウルトラマンが右を向いているカットに繋がってしまっては、そこでは瞬間的に、位置関係への把握が崩れてしまい、状況を理解するのにタイムラグが生まれてしまうのだ。そのタイムラグを発生させない、観客の状況把握を一定に保つための境界線が、イマジナリーラインと呼ばれる概念なのだ。

イマジナリーラインは、シーン設計をする段階で概念として生まれる、撮影対象の位置関係に対して、その後のコンティニュティで、不自然さを与えないように撮影対象同士の間に引かれる、目に見えない線のことである。

たとえばこのシーンを上から見下ろすと、以下のようにイマジナリーラインが敷かれる。

ここでは、ゴモラとウルトラマンを結ぶ、●から★へ向けてイマジナリーラインが敷かれている。

このようにイマジナリーラインが敷かれると、画面全体がA地区とB地区に分断されるわけであって、そこで映像作家がコンテを繋いでいくのであるが、その場合迂闊に考えなしに、A地区からの視線のカットとB地区からの視線のカット同士を、イマジナリーラインをまたいで繋げてはいけないのである。

上の例で言えば、最初のロングショット画像はA地区側から、次のウルトラマンのUPはB地区側から写していることになる。シーン設計で、冒頭カットでシーンの全体をロングショットで説明するのは定石だが(学園漫画で物語冒頭、学校の全景や教室の俯瞰から始まるようなもの)、その最初のカットで概念で敷かれたイマジナリーラインは、なんの目的も視線誘導の意図もないままに、踏み越えてはならないのである。

たとえば、最初の画像から始まったシーンのコンテで、こんなカッティング演出がある。

いわゆる切り返しだ。映像の世界で言われる「切り返ししか撮れないやつもいる」は、会話シーンなどで、こういうコンテが延々続くタイプの演出家のことである。しかし一応これも、イマジナリーライン概念では、ぎりぎり踏み越えてはいない。

この2枚は、上から見下ろしたイマジナリーライン設定画像の、●と★からそれぞれ撮影したカットであるが、ともにライン上にカメラが設置されている。

つまりイマジナリーラインの両端から、切り替えしてカットを繋いでいる手法である。ギリギリライン上から撮影をしているので、これはイマジナリーラインの無視にはならない。(あくまで余談の応用法の話になるが、A地区から写しはじめたシーンを、最終的にB地区側からのカメラ視点のカットへと移行したい場合、この、●地点と★地点の切り返しカットを挟むことで、ラインを跨いだ向こう側へ、カメラを移動させることは可能である)

確かに映像の理論、技法では、イマジナリーラインをあえて無視するやり方もある。そこで視聴者の安定感を削いで、不安の中へ引きずり込み、最終的に強調したい映像やカットを、最後に安定した手法で視聴者に見せることで、そのカットの印象度は非常に高くなる。

そういう形で映像理論で読み解いていくと、実相寺コンテは非常に堅実で正統派である。

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