映画公開が終了した後の、1982年7月からバンダイは、劇中には登場せずに、ラフ設定や富野メモだけで終わった没デザインのモビルスーツもプラモデルで商品化を開始する。ガンプラのブームは衰えを見せず、漫画『プラモ狂四郎』の人気もうなぎ上りで、やがてガンプラは、大河原邦男氏が描き下ろした、「アニメには登場しなかったモビルスーツ(MS)のバリエーション(Variation)」を商品化する「MSV」シリーズへと移行。

アニメファン、富野ファンのアンテナは、既に『イデオン』『ザブングル』へ移行していたように思えていたが、テレビアニメ版『ガンダム』が、地上波放映史上で最高の視聴率を上げたのは、ガンプラブームだけが残り火となって燃え盛り続けた、1982年12月14日の、24.1%であった(同1982年3月8日の名古屋地区再放映では、再放映時番組占有率50%超えを記録した)。

人間ドラマもテーマも終息し終わった後の、ロボットプラモデル人気だけが遺された段階で、歴代最高の視聴率を叩き出したという事実は、その後のMSVプラモデル展開と共に、やがては歴史の必然とばかりに、『ガンダム』の続編『機動戦士Zガンダム』の制作を招き込むのである。

男性、女性、子ども、思春期層、アニメファン、モデラー、801BL作家、同人誌漫画家、パロディ作家、全ての層が熱狂的に交錯できた「ガンダムブーム」は、ここで一度、幕を閉じたのである。

ブライト「アムロのことで……俺は奴に心配をかけすぎたのかも知れん。我々が……我々が未熟だったために……リュウを殺し……何人もの仲間を……う……ああ……。か、かんべんしてくれェ、リ、リュウ、かんべんしてくれよ! お、おれたち……こ、これから、ど、どうすりゃいいんだ。えゝ リ リュウ! お、教えてくれ……おしえてくれんのだな! も、もう……」
セイラ「ブ、ブライトさん……! や、やめましょうよ! ジ、ジオンを倒すしかない……。戦争が終わるしか……」
アムロ「そ、そうさ……そうですよね……。それしかないんですよ……。それしかないんですよ……」

次回からの『シン・機動戦士ガンダム論』のテーマは『ロボットアニメとしてのガンダム』
『ガンダム』のドラマイズム、テーマを生んだ土壌は、実は「『ガンダム』という作品が、スーパーロボットアニメであったからだ」という真理を、シリーズを丁寧に因数分解して読み解くシリーズがはじまります。
次回「『シン・機動戦士ガンダム論』第20回『ロボットアニメとしてのガンダム・1』」
君は、生き延びることができるか。

(フィギュア再現画像特殊効果協力 K2アートラクション)

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