『ウルトラマン』(1966年)は、毎回悪い怪獣が現れて平和な人間社会を荒らし、颯爽と現れたウルトラマンが退治するのが定石であり、全てであった。

その不文律に初めてアンチテーゼを掲げたのが。実相寺昭雄・佐々木守コンビだった。

「ウルトラマンが怪獣を、最後に退治するのは決まりでしたから、ライターとしては、怪獣をいかに面白く描くか、それをテーマにするしか手がなかったんです。そこで考えたのは、怪獣は果たして、ウルトラマンに殺される理由があるのだろうかということでした。(佐々木・談)」

本話は、そんな佐々木氏の精神が、初めて子ども番組に風穴を開けた瞬間だった。

本話で科特隊の尽力によって撃墜されたUFOから現れたのは

皮膚の全ては頭から顔まで毛一本もなく、まるでひび割れた如く無数の筋が血管のように入り乱れ、目玉なき目からは激しい光が二条。そして動くたびに、関節という関節から煙を吹き出すようである。しかも全身、厚いうろこ状で覆われているようだ。

佐々木守脚本『故郷は地球』より

という怪獣ジャミラだった。

人類の宇宙開発競争という輝かしい名目の元に見捨てられ、怪獣となって生き延びたジャミラ。

そして人類に復讐する為、自分達の犠牲の上に胡坐をかいていた、国際平和会議を潰す為に、ジャミラは『故郷の地球』に帰ってきたのだ。

その事実を知った科特隊のイデ隊員は、武器を放り捨てて戦いを放棄する。

怪獣とは、人間社会が、人の社会が、表面上の規律と均衡を保つ為に、意識的に排除した存在にすぎないのだと、佐々木氏の脚本は訴えた。

何も悪い事はしていない。身に覚えは何もない。

なのにある日突然に、社会の、場の都合とルールで排除される者は決定し、石を投げられる。

それが「怪獣」なのだと、佐々木氏は暴いた。

それでも。科特隊パリ本部からの使者・アランは、ジャミラを抹殺するように言い放った。

紅蓮の炎を吐いて暴れ狂うジャミラを前に、イデが叫ぶ。

「ジャミラてめぇ! 人間らしい心はもう、失くなっちまったのかよ!」

やがてウルトラマンが登場。ウルトラマンは圧倒的なパワーでジャミラをねじ伏せる。

やがて苦しげな泣き声をあげながら、絶命していくジャミラ。

この話をはじめ、ずっと佐々木氏とコンビを組んでいた実相寺昭雄監督は、佐々木氏のウルトラマンについて後年こう語っている。

「ウルトラマンの万博的反自然に、最初に目をつけたのは佐々木守であり、彼はレーニンへの道程としてのアナーキズムを、あの夜七時台に持ち込んだ男である。怪獣を退治するという行為は、いかなる意味でも正義の闘いではなく、また、人間の自由といった相対性の範疇を出ないものだということを、彼の作品ははっきりと指し示していた」

『テレビの青春』今野勉

日本の刑事ドラマの基礎を築いた名作が『七人の刑事』(1961年~1969年)であることは明白だが、佐々木氏はその第265話『ふたりだけの銀座』(監督・今野勉)で、テレビドラマ界に伝説を残すことになった。

都会の不良青年たちによって恋人をさらわれた、青年・清二の上京から、その物語はスタートする。

清二は出合った刑事と共に、恋人の行方を捜しさすらう。刑事と清二の間には友情が芽生える。やがて恋人の行方は判明する。

恋人は、誘拐されたままの勢いで、都会に馴染んでしまっていたのだ。

自分を探し当てた清二を拒絶し、嘲笑するように振舞う恋人。

清二は狂ったように走り去り、いつか恋人と訪れるはずだった銀座の街角で、行きずりの他人を、すれ違いざまに刺し殺してしまう。

追いついた刑事はこう叫ぶしかなかった。

「なんで俺が、お前に手錠をはめなければならないんだっ!」

この衝撃的な問題作は、たちまち社会やテレビ界に波紋を呼び、『七人の刑事』という作品を、伝説的なドラマへと押し上げた。

清二もまた、ジャミラのように「怪獣」だったに違いない。

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