佐々木氏が、テレビドラマ界に残した功績は数知れないが、その中の一つに「脱ドラマ」という手法があった。ドラマの最中にいきなりキャストが役者の立場で 、カメラに向かって語りかけてみたり、ドタバタシーンの最中に、カメラがふいにセットの陰のスタッフを写したり。

この手法は後に『時間ですよ』(1970年)を経て、『ムー一族』(1978年)などで鬼才演出家・久世光彦氏によって完成されるが、そもそものその手法が編み出された、原点とも言えるドラマが、佐々木氏の最高傑作とも呼ばれている『お荷物小荷物』(1970年)だったのだ。

この一見、バラエティ風味に溢れたコメディドラマ。

実は先述の『日本一の裏切り男』と同じく、戦後日本が抱えた暗部を切り裂いて、白日の下に晒した名作なのである。

物語は、とある一家に一人のお手伝いさんが、やってくるところから始まる。

一家の家長は忠太郎(志村喬)。日露戦争で手にしていた日本刀と日の丸国旗を何よりも愛し、大和魂と日本男児の精神を尊ぶ老傑。徹底した男尊女卑の思想の持ち主であり、愛国心に溢れた頑固者だ。

一家は忠太郎とその息子、そして五人の孫という構成で、女性は誰一人としていない。

そこに女中としてやってきたのが、田の中菊(中山千夏)だった。

菊がこの家にやってきたのには、実は深い目的があった。

菊の姉がかつて、この家でやはり女中をやっていて、五人の兄弟の中の誰かと恋仲になり、子どもを身ごもったのだが、忠太郎の「女中ごときに、我が家の大事な跡取りを産ませるわけにはいかん!」という怒りに触れて、追い出されてしまった。

姉はその後故郷に帰り、子どもを産むが病死してしまう。

そう、菊の目的は、残された姉の忘れ形見の父親探しと、姉をおいやった一家への復讐だったのだ。

なのでまたもやピカレスクロマンとなったこの物語は、菊がその魅力と笑顔で、次々と一家の兄弟達を手なずけていく展開になる。

菊は本名を今帰仁菊(なきじん・きく)といい、琉球・沖縄の出身である。

「日の丸の一家に蹂躙された沖縄の復讐」この物語は、毎回菊と、菊の尻を追いかける、五人の兄弟達のドタバタで構成されてはいたが、そこには痛烈な、日本風土・天皇制への批判が込められていた。

「子どもの時分に、軍国教育の名の下に、ある特定の価値観や、秩序を叩き込まれた経験が災いしているのか、絶対的な価値観を押し付けられるのが苦手なんです。だから組織とかシステムというものもどうも肌に合わない。一番身近な例を挙げれば家庭ですよ。家庭を維持するためには、家族は大なり小なり我慢しなくちゃならない。もちろん、それがどうしても耐えられるわけじゃないけど、出来る事ならそういう、ある秩序の中に放り込まれたくない。という気持ちがあるんです」

佐々木・談

『お荷物小荷物』最終回。

ついに忠太郎に、姉の子どもを認知させた菊が、沖縄に帰ることを決意する。

それを引きとめようと、必死になる五人の兄弟たち。

「私は沖縄の女。本土のあなた方に頼らずに、たった一人で生きていきます」とキッパリ菊がはねつけると、ドラマの展開があれよあれよと急転し、なぜか日本は外国と戦争状態に突入。

五人の兄弟たちは皆、出征兵士として戦地へ送られて全員戦死。

ラストシーンは、崩壊していく家が映し出され、国旗日の丸だけがスポットライトを浴びて、エンドロールであった。

日の本太郎と田の中菊。

「日本という国家。擬似天皇制としてのい家長制度」から排除されつつも、この二人はその、溢れんばかりのバイタリティで、狭量な枠組みを超越して、物語を駆け抜けていった。

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