『ウルトラセブン』(1967年)の最終回『史上最大の侵略』は、なぜ書かれたのか。
ウルトラシリーズ中、最も知名度が高い最終回として、テレビドラマ史に残る名作最終回として、いまやウルトラファンだけではなく、様々な世代・層に傑作として認知されている、ウルトラセブンの最終回は、なぜあのような形で描かれたのであろうか。
その疑問を解く鍵が、実はこの一見正統派娯楽編にしか見えない本話に隠されているのである。
初期ウルトラを支えた天才作家・金城哲夫氏に対する人間評価として、特に、ウルトラのメインライターとしての立場について良く語られるのが「彼はどんな変化球作品も異色作も、広い心と対応で受け入れ、大きなウルトラの流れに、取り込んでいく度量と才能で、結果的にウルトラというシリーズを、とても懐広い世界にしていった」というのがある。
果たしてそうだったのであろうか?
いや、筆者は何も、金城氏のその人間性や度量の広さに異論を唱えようというのではない。
むしろ、その事実を大前提にしたうえで「ではなぜ、金城氏はそういうスタンスを取ったのであろうか」を考えてみたのである。
ウルトラには多様な作家が参加した。
円谷プロ生え抜きで、沖縄琉球出身の金城哲夫氏と上原正三氏を筆頭に、飯島敏宏監督の招聘で参加した山田正弘氏、藤川桂介氏。
演出陣のペンネームである千束北男、南川竜、川崎高。やがてテレビ界そのものを支えていくことになる佐々木守氏、市川森一氏。
それはまさに梁山泊の戦士のごとく、一騎当千ツワモノ揃い。
それゆえに一人一人の個性は強く、一言に「宇宙から来たヒーロー」を描いても、個々に描き方もテーマも千差万別の感があった。
それらをまとめあげ、一つの大きな樹に仕上げる役目と責務を負った金城氏。そのプレッシャーとストレスは相当なものであったろうし、まるでフルスピードの高速道路の交通整理を行うがごとき、めまぐるしい舵取りを求められたのであろう。
その困難さは例えば、メインの舵取りを脚本家ではなく、プロデューサー橋本洋二氏が自ら陣頭指揮を執るようになった第二期ウルトラの代表作『ウルトラマンタロウ』(1973年)でさえも、そのメインライター・田口成光氏はそこで他脚本家を纏め上げることが出来ず、他の作家の作品との整合性に、振り回される作劇に終始したことからも、理解できるというものである。
その中で、金城氏が貫いたスタンスが「全ての作家の、世界観を受け止める」であったことは、当時のスタッフ達の証言や先人達の評論による分析からも間違いはない。
しかし、ただそのままあるがまま、書き上げられてくるシナリオと、監督によって撮られた作品を許容する放任主義だけでは、メインライターとして、またシリーズを統括する責任者としては、役目は果たせなかったのも事実である。
では、金城氏はそこで、どのような対応をしたのであろうか?
各人各様に打ち出されてくる「光の国から来た使者の物語」に対し、それを許し、認め、受け入れる一方で、金城氏が統括者として担った役目、果たした責任とはなんだったのだろうか。
例えば、この話にその答えのひとつが現れていると、筆者は思うのである。
金城氏が、統括者として行ったバランス保持行動として挙げられるのが「アンサー脚本」であると筆者は定義づける。
アンサー脚本とは、例えば(それが佐々木氏でもいいし若槻文三氏でもいい)、誰か他の作家が、アンチテーゼ的な、変化球的な作品を書いたとする。
それはアンチテーゼゆえに、変化球ゆえに、作品の根幹を揺らがせて、時には作品世界の存在意義そのものをひっくり返してしまう。
そうなってしまえば、作品が存続することすら難しくなってしまうわけで、それを防ぐには「臭い物に蓋をする」ように、そういった作品が製作されるのを未然に防ぐしかないわけだが、金城氏はあえてそれをしようとはせずに、そういった作品に対し、あえて統括者の立場から、それへのアンサー脚本を書くことで、地震に対する揺り返しのような効果を相殺する形で、シリーズ全体のバランスをとっていったのではないかと思われるのだ。
それは例えば、先人達の評論でも語られていて、例えばとある特撮評論家の著書では、『ウルトラマン』(1966年)における佐々木守・実相寺昭雄の名作『故郷は地球』へのアンサーが、同じウルトラマンで金城氏が執筆した『小さな英雄』ではないかと語られている。
筆者もそれには同感である。
しかし、それ以上に「大きな懐と度量で、全ての変化球作品を許した」とされる金城氏が、実はそういわれるほどにはどっしり構えた大物人ではなく、実はそういった変化球作品が一本挙がるたびに、そこで仕込まれた「揺さぶり」によって、文字通り揺さぶられ、うろたえ、そこで生じた迷いや葛藤を、溜め込み、飲み込み、消化できず苦しみ続けていたのではないかと、今の世から見た筆者は思うのである。
例えばその人間観は、先述した実相寺監督が後年金城氏を指して「繊細な神経を内に秘めながらも一見豪放磊落」と語ったように、やはりそういった二面性を持っていたことは、当時の関係者から見てもつかめていた人間像であるようだ。
その、金城氏の「メンタルの弱さ」はセブン初期の脚本にも現れていて、セブンがまだ他作家によって揺さぶられていないにも関わらず、既に初期設定から戦争構図にあった世界観から憂慮して、ことさら金城セブンの初期は、セブンと地球人の一体感や、揺るがない正義の存在に固執した、多少堅苦しい頑固な作劇が続くのである。