それは見方によれば、市川森一氏が『帰ってきたウルトラマン』(1971年)の、『ふるさと地球を去る』で南隊員に語らせた「人は逃げ場があるうちは逃げ回る。無茶というのは本当に追い詰められた者にしかできない」を、まさにあらわしていたのではないだろうか?

そしてつまり金城氏は、一見豪放磊落な社交的に見えて、その内面にはとても繊細でナィーブなメンタルを抱えていたのである。

そういった「外面からは誰も想像できない、脆弱な内面性」は、「第一期ウルトラ終了後の突然の帰郷」という行動とも一致するのである。

ではなぜ、そこまでか弱きメンタルを持った金城氏が、己の身の破滅を呼び込むだろう「他作家の価値観を全て受け入れる」を、シリーズ統括者のスタンスとして選択したのであろうか。

それはやはり、大和の国・日本のテレビ局の日本のドラマ番組において、異国からきた自分が陣頭指揮を執り、ヤマトンチュの作家や演出家を率いて、統括者としてやっていかなくてはならないという

プレッシャーや、それに伴う不安から招きこんだ形の結果だったのではなかろうか。

そしてまた、金城氏が他作家の全ての路線、価値観を受け入れたのは、彼自身が異邦人であり、異国の地で異国の物語を作るに当たって、「他者(そしてそれは本土人)の全てを受け入れること」で、自らがその「異国の視点・感覚」を取り込みたいという、切なる願望があったからではないだろうか。

金城氏の描いたウルトラマン・ウルトラセブンがそうであったように、「己の個を捨てて、自らが入り込んだ国の価値観をまずは受け入れよう」を実践したはずの金城氏であったが、しかし、やはり個は個であり公になることはできず、今回のような形で、内なる心情を吐き出してしまった。

しかし、金城氏の苦悩と自分の追い詰めは、本話を書いたことでさらにスパイラルを迎えることになる。

本話で金城氏が、佐々木氏の『故郷は地球』の骨子を借りることで、それをネガ反転した作劇を構成したように、セブンでは中盤26話『超兵器R1号』で若槻文三氏が「地球の宇宙開発ロケットが、結果的に他星に迷惑をかけてしまい、その星から攻め入られてしまう」という、本話で金城氏が組み立てた骨子を利用して、セブン最大の問題作でもある『超兵器R1号』を書いてしまうのである。

その作品を受けて、さらに迷い、苦しんだ金城氏は、やがて『超兵器R1号』へのアンサーとして『ノンマルトの使者』を執筆。 それを書いてしまった金城氏は、二度と再び出られない袋小路へと、自らを追い詰めてしまうのである……。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事