その『ウインダリア』も『宇宙皇子』も、そこで主役を担う少年は、必ず様々な経験を経て「大人の男」へと成長していき団円を迎えるのであるが、その過程で必ず重要な役割を少女が受け持つというのは、これは男と女だけで構成されている、人が生きる社会・世界の原理原則論を、しっかりと踏襲しているのだといえる。

その辺りは「ニーズに応える」を金科玉条にした、昨今の萌え文化とは一線を画す存在であり、宮崎駿富野由悠季ら、70年代から80年代当事のアニメ畑の作家陣と同じく、藤川氏は常に、アニメ文化に親しんだ青少年視聴者を、現実の男の大人社会へと、背中を押して送り出す作業を、続けていたのかもしれない。

一方、本話を彩った怪獣・グビラについても少し触れておきたい。

この、成田亨高山良策コンビが放った、秀逸かつ赴き深い怪獣の、最大の特徴である「海魚のボディとドリルが交錯した浮遊感」は、戦後のシュールレアリズム芸術家・マン・レイが作り上げた、『イジドール・デュカスの謎』の例を出すまでもなく、そういった成田氏の功績はいずれ『人間標本5・6』評論で書きたいと思っているが、本話のグビラは、前衛芸術でいうところのハイブリッドと成田氏特有の海洋生物意匠嗜好を、共に強い形で感じ取ることが出来るデザインなのである。

「怪獣」という存在の統一イメージとして、その始祖『ゴジラ』(1954年)がそうであったように、「海からやってくる」という設定がある。

例えばそこには既存の評論で語れているような、「日本人がDNAレベルで擁く、南洋への畏怖」などという側面もあるが、必ずしも海中からやってくる怪獣を想定していないウルトラでも、『ウルトラQ』(1966年)の(劇中では使用されなかった)、挿入歌の「大怪獣の歌(作詞・東京一)」には「山を砕き、海を蹴散らし、地鳴りと共にやってくる」という一説があるし、同じ作詞家(東京一=円谷一)による『ウルトラマンA』(1972年)の主題歌、「ウルトラマンA(作詞・東京一)」にも「海から迫る大超獣」という一説があった。

本話が放映されるまでにも、ウルトラで海中生物をモデルにしたり、海からやってきた怪獣には、ボスタング、スダール、ゲスラ、ペスター、ラゴンなどがいるが、ほぼ同年に公開された東宝のゴジラ映画『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)で、メインで登場したエビラも併せると、どれも「魚以外の海洋生物を材にした怪獣デザイン」だった。

中に人間が入って演じるという前提を考えると、魚をそのまま怪獣に置き換えるというのは、いろいろな意味で無理があるのかもしれない。60年代のテレビ特撮の世界で、円谷と共に貢献した、漫画家うしおそうじ氏のピープロが作った、『怪獣王子』(1967年)『海獣シーラゴン!!』に登場したシーラゴンは、最初はシーラカンスそのままのデザインだったというが、実際には典型的四足型怪獣の姿に落ち着いている。

第二期怪獣ブームのさなかに、大映で作られた、ガメラシリーズの『ガメラ対深海怪獣ジグラ』(1971年)の敵怪獣・ジグラもまた、水中では鮫を思わせる魚型怪獣であったが、地上でガメラと戦う際には直立二足型怪獣へと変形している。

海底は、人類にとってはある意味で宇宙よりも未開の地であり、ある意味本話の骨子や『ウルトラセブン』の名作『ノンマルトの使者』なども、そういった真理を伴った視点で作られた物語なのかもしれないが、そこで生きる海洋生物もまた、地上の重力と大気に縛られない姿をしていて、それがどこかで、前衛芸術家達の創作を刺激していた部分があるのは、前衛芸術界では常識。

稀代の芸術家コンビだった成田・高山両氏が、この創造性に傾倒したことは想像に難くなく、実際セブン期には(セブンが当初、海洋冒険物だった名残もあってか)そこで登場する、様々な宇宙人達のデザインには、シルエットではなくディティールレベルで、海洋生物の様々な意匠が、成田・高山コンビによってそこへ落とし込まれていった。

デッサンやフィニッシュワークが複数人で行われた『ウルトラQ』期を除けば、成田氏がここまでストレートに、現実生物意匠をメインに持ち込んだデザイン例は稀であり、しかしそこに、たった一つの「ドリル」という要素を付加しただけで、「巨大な魚類」ではなく「怪獣という創造」に辿り着いてしまったその手腕は、もはやデザイナーとは呼ばず、創造家と呼ぶべきであろう。

グビラの直接的なデザインモチーフになったのは、モンガラカワハギと呼ばれる南洋魚。

モンガラカワハギ

このモンガラカワハギの写真を見れば、お分かりいただけると思うが、そのカラーリングやストラクチュアが、そのままグビラに活かされているのだ。そこでドリルという要素がもたらした、違和感とインパクトと相乗効果は、みごとにグビラをして、単なる「巨大なモンガラカワハギ」ではなく、怪獣という存在たらしめているのである。

確かに冷静に考察してみれば、本話はその成立過程においては、特に際立った作家性やテーマに依存するタイプの作品ではなく、単純に(そしておそらく特撮部サイドから)「海の中を縦横無尽に暴れる怪獣を、海中特撮で描きたい」というプランニングがまず最初にあったのだろうと想像できる。

そこには、ドラマ・物語・テーマ・特撮が、常に等価で主張しあっていた、おおらかで自由で、かつプロがせめぎあっていた、初期円谷の空気を感じ取ることが出来るだろう。

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