『帰ってきたウルトラマン』で、『宇宙から来た透明大怪獣』『ウルトラセブン参上!』への、『怪獣使いと少年』『悪魔と天使の間に…』への、市川氏作品への上正式アンサー作品であったように、『恐竜爆破指令』『怪獣墓場』『恐怖の宇宙線』等佐々木氏作品へのアングリーな反論であったように、この作品も『私が愛したウルトラセブン』への徹底アンサーであり、『星の林に月の舟』への反証であるのかもしれない。それら前者2作を意識し過ぎたからか、脚本がそもそもまとまりに欠け、挙句には脚本をとっちらからせる演出家によって、本作は散漫な印象を遺したのかもしれない。

一方で、筆者にとってこの三作品は、これまで自分が認めてきたウルトラマン研究、とりわけ金城哲夫論に対する答え合わせにも見えてくる。本話では、円谷家の遺伝子ゆえか、早くに逝去してしまわれた円谷浩氏が演じているが、そこでの円谷一は劇中、奮闘四苦八苦する金城脚本に対して「これ、面白い?」と尋ね、その苦しみに一切理解を示さない。もちろん、父・英二氏とのシーンでは、金城は必ず大物になる才能を持っていると理解は示しているが、歴史がいつでもそうであったように、それは後の歴史を振り返る者や当時の円谷プロを俯瞰できる立場が見れる者だから分かるだけであり、あの当時の金城哲夫にとっては、円谷一はわからずやの壁に見えてしまったのだろうと、そこまでを踏まえて当時の二人の関係性を(当時から、とまでは言えない。後年気付いたのかもしれないが)上原氏は気付いてこの物語にそのメタ話を込めたのだ。

そこへの拘りと(何度も述べるが)公私混合で演出のイロハを学ばず大家になってしまった監督の演出がなければ、もっとこの物語はすっくりと、分かりやすくまとまっていたのかもしれない。
産みの苦しみのウルトラマン前夜。竜ヶ森湖に向かったのが、英二ではなく金城であったなら、もっとストレートに『ウルトラ作戦第一号』と『ウルトラの星』はストレスフリーで繋がっていたかもしれない。
しかし、竜ヶ森湖で起きた出来事を新作に落とし込む条件は分かりやすくロジックとしてとらえやすくなるが、逆にそうなると、ティガをモデルに金城がウルトラマンを産んでしまう展開になり、タイムループ系ラノベが好きな人にはそれでもいいのかもしれないが、きっと上原氏的にはそうはさせたくなかったのだろう。
ではなぜ上原氏は、劇中に『ウルトラ作戦第一号』作劇に関与していなかった英二に、その契機へと繋がる体験をさせたのだろうか。
そこは、丁寧にこの話を何度も観返すと出てくる謎である。

それは、担当監督も含めた共同創作へのノスタルジックな幻想肯定だろうか。
ウルトラマンという壮大なコンテンツを打ち立てた『ウルトラ作戦第一号』を産み出したのは、英二監督も含めた壮大な円谷プロの総力という解釈なのか、産みの苦しみを乗り越えた金城哲夫なのか。
そう、それは何度映像を反復視聴しても回答は探し出せない。
本話の企画の初動は、『ウルトラマンタロウ』以降ウルトラを去った上原氏が『ウルトラマン』が生まれた瞬間を思い描くというモチーフだったのかもしれないし、本話を撮った監督のノスタルジィに付き合わされた中で、金城哲夫の苦悩と孤独を描きつつ、実はそのハコやテーマの産み出しにはその魂はこもっていないことを、そっと表面に見えない形で描き込んでいたのではないだろうか。

そう考えると、この話の全ての源流が「ウルトラの星」と呼ばれた赤い石にあり、それは円谷プロに訪れた「異邦の魂」そして「偉大なる力」であって、それは「繋がる」ことは出来ても、誰の手にも入ることはなかった。だからだろう。作中で英二も金城もその暖かさや光に惹かれながらも、それは「異邦の力」だけに、誰の手にも入ることはなかった。
だからこそ、本作の本来の主人公が、全てが終り現代に帰った後に「僕も、もっともっと力が欲しい」と漏らすモノローグが、それを証明している。

それは佐々木式ファミリードラマアイロニカル化とも、市川式ノスタルジックドラマ化とも違った、「あえて」の距離を置いた上原式「金城哲夫は弱すぎたのではないか」がテーマだったのではないか、がこの読み解きの着地点なのである。
佐々木氏も市川氏も、腫れ物に触るように「金城哲夫という存在」を描写しただけに、三人の中では当時最も距離が近く、当時最も心情を把握していた上原氏ならではの、それらの流れを断ち切るべくして断ち切った一刀なのかもしれない。

ウルトラが、金城哲夫が、円谷プロが一番輝いていた時代。それは今や誰が書いても幻想の虚構でしかなくなってしまうが、「そこ」に「ウルトラの星」は確かにあった。だから場末の独立プロダクションは、時代の寵児になれたのだ。そこには間違いはない。
もっとも、そういった考察を挟むのもバカバカしいぐらいに、本話独自のエンディングでは、往年の『ウルトラマン』名場面が並べられているのだが、僅かな例外を除き、全て本話監督の作品の列挙で占められている。
その私物化さ加減を最後に見せられると、シンプルにこの物語は難解な読み解きをするのではなく、気分とニュアンスで雰囲気だけを楽しめばいい記念碑的な作品にも思えてくる。

そこには、上原氏ならではの「核」が、もう少し掘れば必ずつかめる距離に配置されていたのに、当時BGMの流用などの「これみよがし」の演出によって迷彩化してしまったともいえる。
もっとも、その監督でなければ、上原氏も今一度ウルトラの筆を執り、金城氏や当時の円谷プロを描くことはなかったと思われる。
そこでの上原氏の「煮え切れなさ。語り尽くせなさ」が、やがて1999年に『金城哲夫ウルトラマン島唄』という筑摩書房から出版された書籍に結実したのかもしれない。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事