『ウルトラマン80』(1980年)放映後の円谷プロは、長い冬の時代に突入した。
一応その後も、ウルトラのスピンオフ企画『アンドロメロス』(1983年)や、海外資本作品『ウルトラマングレート』(1991年)『ウルトラマンパワード』(1995年)など、一部のアニメ作品などと共に、細々とウルトラシリーズは継続されていたが、本格的なテレビシリーズの復活は『ウルトラマンティガ』(1996年)であり、それは既に、80放映終了から15年の月日を経過してのことだった。

平成ウルトラシリーズの総括・個別評価に関しては、筆者自身が致命的に「乗り遅れ」た結果、しっかりと視聴していないということと、ビジネスやプライベートの多忙さから、資料集めや検証材料をあまり持ち合わせていないことから、あまり深入りした言及は出来ない立場にあるのであるが、一番差し障りのない言い方を選ぶのであれば、旧体制ウルトラの残党である、実相寺昭雄氏、上原正三氏らが自由奔放にカラーを打ち出す一方で、平成円谷の作家・演出家陣が、昭和第三期までのセオリーやカテゴライズに縛られず、新たな「ウルトラとは」を模索する構図であったような気がしてならない。
そこでの「平成スタッフが求めた、新たなウルトラとは」に関しては、いずれ総括してみたいとは思うのだが、平成ウルトラシリーズも、そうそう順風満帆ではなかったということへの解説が、今回の、劇場版コスモス第一作『ウルトラマン コスモス THE FIRST CONTACT』(2001年)を語る上での枕になるのだと思う。

平成ウルトラシリーズはもちろん『ウルトラマンティガ』から始まったわけで、そこでは、主役にジャニーズ人気アイドルグループ・V6長野博氏を起用した戦略や、フォームチェンジという設定で主役ウルトラマンフィギュアの多様化を生む商的戦略へ繋がり、それは特撮合成処理の技術向上などとリンクする形で、ウルトラマンというテレビコンテンツに、新たな需要を発生させることに成功した。
しかし、そもそもの「特撮番組」というジャンルの宿命なのか、円谷の企業体としての在り方の問題か。
「ウルトラは、作っている最中は(予算面での)持ち出しゆえに赤字が続き、放映終了後の、権利化権がもたらすロイヤリティで補完されて、初めて黒字化する」は、昭和でも平成でも変わらなかったため、平成ウルトラも三作で一時期頓挫することになる。

そして『ウルトラマンガイア』(1998年)終了から2年のブランクを超え、2001年。
円谷プロダクションはウルトラマン生誕35周年のプロジェクトとして、『ウルトラマン』(1966年)放映開始でもあり、円谷英二氏の生誕日でもある7月初旬を始まりに、映画館で『ウルトラマン コスモス THE FIRST CONTACT』が、テレビで『ウルトラマン コスモス』が、それぞれ21世紀最初のウルトラマンとして発表された。

『ウルトラマン コスモス』では、まずは、テレビの前章にあたる「少年主人公とウルトラマンとの出会い」部分を劇場版で描き、その後の「青年になった主人公が、ウルトラマンと一心同体になって活躍する」をテレビシリーズで描くという二重構成がウルトラでは初めて導入されて、しかも、テレビ版では北浦嗣巳氏、大西信介氏、長谷川圭一氏などの平成ウルトラスタッフが、劇場版(一作目のみ)では飯島敏宏氏、佐川和夫氏、冬木透氏など、昭和ウルトラスタッフが、それぞれを担当するという、面白い試みが実践されている(佐川・冬木両氏はテレビ版も担当する)。

これはある意味で、昭和スタッフと平成スタッフが、同じ設定・テーマで行う、エキシビジョンマッチのような構成であり、テレビ版放映初日を、わざと円谷英二監督の誕生日である、七夕の7月7日に持ってくる辺りも併せて、円谷がその歴史性と35周年というイベントを、かなり意識した企画であるといえた。
では、そのエキシビジョンマッチの勝敗は、というと、これはかなりの開きをもって、昭和組(劇場版)が圧勝したと言わざるをえない。
「優しさの意味を問うテーマ」「怪獣をむやみに殺さない、調和と秩序(コスモス)を重んじるウルトラマン」という、テレビと劇場版に共通したレギュレーションは、飯島監督をして、生き生きと活躍させるエネルギー源になったが、やたら「信じることが勇気」「強さは優しさ」などといった、言葉面だけに溺れる傾向のある平成ウルトラスタッフにかかると、それらの要素は、数々の矛盾やジレンマを生み出す障害にしかならず、また、そこに縛られるがゆえに作劇が奇麗事や上っ面で縛られた結果、作品世界が「強くてかっこいいウルトラマンが怪獣を倒す」というカタルシスを失い、それは、シリーズ後半の「カオスヘッダー」「カオスウルトラマン」などという、想像力の乏しい、平成ライダーシリーズの悪いところだけを持ち込んだ、デッドコピーの終始へと繋がってしまい、それは歴代最長話数となった冗長さも含めて、(そして『ウルトラマン コスモス』テレビ版の主役俳優の冤罪騒動も含めて)なんとも後味の悪い、すっきりしない終わり方を呼んでしまったのである。
もっとも、『ウルトラマン コスモス』はその後、劇場版製作が継続されたので、商的な視点では失敗作ではないのかもしれないが、少なくとも、テレビシリーズのスタッフで作られた劇場版2作目、3作目を見る限りにおいては、平成スタッフの、「人の生きるドラマを描く限界」を感じてしまうのも事実である。

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