それは、地上の覇者・人間にしてみたら、まさに悪夢の光景そのままなのである。その象徴たるペスターが、人類文化の象徴であるコンビナートを、紅蓮の炎で焼き尽くすという、このドラマ構造は、その全てのパーツが、イデ隊員というキャラを追い詰めるために成立していた。

そういった意味では、本話の真の主役は、そこで燃え盛る炎そのものであり、その炎の行く末こそが、イデの責任のあり方なのである。

「一人はみんなの為に」などではない、自分に課せられた役割の持つ「夢を持つための必要条件」としての責任のあり方。

一監督は、円谷プロという、夢工房の会社の技術力を駆使して、金城氏が内に秘めていた、作家としてのメインテーマを描いてみせたのだ。

人一人は、身の丈に見合う夢と、その夢とつりあうだけの責任を持って生きるが、時として、肩に重く圧し掛かったそれは、マクロな世界の運命をも左右する。

そういう言葉で括れば、本話や『小さな英雄』のイデ隊員も、『謎の恐竜基地』の二階堂教授も、『禁じられた言葉』のサトル少年も、なんら変わりはないのである。

そして、では、ウルトラマンは?

ウルトラマンに課せられた「役割」そして「責任」とは。

マクロな「地球平和」のみであったのだろうかと、本話をテキストに考察してみれば、それは決してそれだけではないことを、我々は『さらばウルトラマン』のラストで知ることになるのである。

金城氏の理想論は、ただの夢見がちな奇麗事ではなかった。悲壮なまでの覚悟と責任感を武器にした、社会という大きな枠への挑戦だった。

円谷一氏は誰よりも、そのことを理解していたのかもしれない。二人で描いたウルトラマンは、イデのミスで巻き起こった大火災を消し去った。

光の国の英雄は、地球の平和、人類の領域を守ると共に、一人のちっぽけな人間をまたも救ったのである。 それは、ヤマトンチュの円谷一氏と、ウチナンチュの金城氏の間に紡がれた、絆が描いた英雄だからだったのかもしれない。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事